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2009年5月27日 (水)

「指環」を続けて演奏する編曲版なんて要らない(4)

「『指環』を続けて演奏する編曲版なんて要らない」で記した通り、この編曲版で最も気に入らないのは、「ヴァルキューレ」の最終部の感動的な場面が終わるとその余韻に浸ることもなしに「森のささやき」に繋げてしまっていることである。

本題から少し外れるが、そもそも「指環」の中では、「ヴァルキューレ」が最も優れていると思うし、「劇」としても比較的共感しやすいし、後味の悪さが少ないと思う。裏切りと呪いの始まりとなる「黄金」。本人が意識できない状態となっていたとは言え妻を嬉々として悪党に差し出す「黄昏」のエゲツなさ。剣を鍛え直す場面が執拗でやかましく、悪党とは言え育ての親を殺したあと祖父と決闘し、あげく叔母に愛を叫ぶ「ジークフリート」。

ワーグナーの音楽の強さによってグイグイ引っ張られてゆくように聴いてしまうのだが、どこかに、共感し切れず居心地の悪さが残るのではないだろうか。
その音楽も、かなり出来不出来があり、「ジークフリート」など、普通ならどうしようもない愚作として忘れられたかも知れないレベルだ。誰か忘れたが或る音楽評論家が「指環の第2夜という位置づけでなかったら、今日まで伝わったかどうか・・・」と書いていたが、全く同感だ。

で、比較的共感しやすいと思う「ヴァルキューレ」だが、これも共感し切れない部分が残るかも知れない。何しろ、運命のいたずらとは言え、兄妹が愛し合うこととなってしまうことから始まるのだ。

そして最終部分。ブルックナーが観終わったあと、「なぜあの女は焼かれなければならなかったのだ?」と言ったというエピソードがある。このエピソードは割と有名なので孫引きの孫引きみたいなことになっていて、言葉も正確かどうか私は分かってないのだが、本当に「焼かれなければ・・・」と言ったのであれば、ストーリーを理解していないことになる。「焼いた」のではなく、「バリアで囲った」のだから。

それはさておき、普通このエピソードは、ブルックナーがいかに世間知らずであったか、いかに純朴であったか、という例として挙げられるようだ。しかし、私は、本当はブルックナーの方が「まとも」なのであって、ワーグナーのひねくれた筋立てに入り切れなかったのではないかと考えるようになった。これについては、私の「題名のない音楽館」の中の「ブルックナーとワーグナー」で考えてみているので、併せてご覧頂けますとありがたいです。

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