最近のトラックバック

« ルイジ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団大阪公演 | トップページ | R・シュトラウス続き »

2009年4月29日 (水)

4月26日はR・シュトラウスの日

「サラダ記念日」みたいなタイトルになったが、俵万智さんにも、R・シュトラウスの作品や生涯にも、何ら関係はありません。(多分)

2009年4月26日、ドレスデン国立管弦楽団の大阪公演を聴きに行ってR・シュトラウスの大音響に浸って帰宅すると、日曜なのでN響アワーがあった。しかも、何とR・シュトラウスである。これはいかに何でも聴く気がしない。久しぶりにいいナマ演奏に接したたもあってか、余韻が強すぎて、帰宅してからもボー然としていた処に、同じ作曲家の曲をやるのだから。

翌日、気を取り直して録画で見た。
曲目は「ツァラトゥストラ」全曲と「バラの騎士」の組曲からワルツを中心とした部分の抜粋。演奏会の曲目とは異なったし、むしろ演奏会の曲目よりは好きだ。けれど、「ツァラトゥストラ」をドレスデンが大阪ではやってくれなかったことが結構悔しいという思いが募ったし、隼・メルクルによる「バラの騎士」もいまいちだろう。

「バラの騎士」のワルツって、もっと退廃的な、または少し違う言葉で今風に言うと、脱力的な感じのする音楽なのではないか。私はこれを聴くと、いつも「労働意欲を削ぐ曲だなあ!」と思うのだ。もう何もかも放り出したくなってくる感じ、どうでもよくなってしまう感じである。隼・メルクルの演奏はドライで健康的に過ぎる。もっとネチッこく演奏しないと「労働意欲を削ぐ」感じにはならない。
私は未だに隼・メルクルの音楽にはついてゆけない処がある。「聴衆」というとおこがましいので「私」とするが、私の期待するのと違うテンポ、違うアゴーギグ(意図的な緩急をつけて音楽に彩りを加えること)で進めてゆくことが多いようだ。

西村朗がR・シュトラウスのオーケストレーションの巧さを激賞していた。池辺さんが司会をしていたとき、「英雄の生涯」を取り上げたことがあり、同様にオーケストレーションの巧さに言及し、「英雄の主題」がチェロとホルンのユニゾンで提示されることによって、素晴しい響きを作り出していることを例として示していた。池辺さんも西村氏も同じ作曲家としての立場からの評なので、説得力がある。

そう。確かに巧い。ナマで聴くと、一層その感を強くした。けど、見方を変えると分厚すぎる音ということにもなる。ブラームスなんかとは違う意味で。多分それもあって、ドレスデンのアンコールで「オペロン序曲」が始まったときホッとしたのも事実である。

« ルイジ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団大阪公演 | トップページ | R・シュトラウス続き »

コンサート」カテゴリの記事

音楽番組」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 4月26日はR・シュトラウスの日:

« ルイジ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団大阪公演 | トップページ | R・シュトラウス続き »

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29

書評 資料室

Amazonアソシエイト

無料ブログはココログ