カテゴリー「「題なし」の雑学」の記事

2015年4月10日 (金)

何で「粛々と」が上から目線なのか

今頃になって、前の知事が容認した辺野古移設の工事を、許可取り消しの可能性もほのめかしつつ、ゴタを述べている愚かな知事がいる。
そして、挙げ句の果てが「政府側が粛々と進めると言うが、言われるたびに、上から目線を感じて不愉快に思っている沖縄県民が云々」の発言だ。

それをまた、左かかったマスコミが、「それも一理ある」とばかりに、三省堂国語辞典(以下、「三国」)の語釈を引っ張り出して、バカの援護に余念がない。

しかし、これこそ、為にする議論に他ならない。

三国に掲載されている「粛々」の語釈は次の通り。

  1. おごそかで、ものしずかなよあうす。(文例略)
  2. 何が起こっても、予定どおり着実におこなうようす。「―と業務をこなす」

まあ、この②の語釈を見つけて、マスコミのはしゃぐことはしゃぐこと。また、よく調べもせずにその解釈に乗ってしまうコメンテーテーターのバカさ加減には、つくづく驚き呆れるばかりだ。

だけどこれ、そんな「上から目線」の意味を含んでいるのだろうか。
②の語釈、ちゃんと読めば、単に客観的に、進める様子を表しているだけのことなのではないのか
最近まさに、この三国を第一リファレンスとした経緯を持つ身としては、こんなことに「活用」されるのは、甚だ腹立たしいことなのだ。

そう思って、他の手持ちの辞書類にあたると、驚くべきことが分かってきた。

殆どの国語辞典(広辞苑も含む)には、上記の①に相当する語釈しか載っていない。そのこと自体が、②の語釈そしてそれを「上から目線」のニュアンスをもって解釈することが無理筋だということを示している。

それどころか、漢和辞典の幾つかで調べると、「粛」には「おそれ慎んで」とか「身を引き締めてかしこまる意」という説明があるし、新潮日本語漢字辞典には、類語として「謹」を示している(謹賀新年の謹)

要は、「粛」という文字のには、「上から目線」どころか、おそれ敬ってかしこまるといったニュアンスがあるのだ。全く逆なのだ
なぜ、こんなことを、ロクに調べもせずに、あの知事をサポートするが如き言説に用いるのか。少し調べれば分かることのはずだ。一市井の私が調べても分かったことなのだから。

さらに驚いたことに、官房長官も首相も、何の反論もせずに「不愉快な思いをされたのであれば、以後は使わない」と引き下がってしまってていることである。本来はこの前半に「粛々という言葉には、そうした『上から目線』の意味はなく、むしろ反対の意味合いがある」と付け加えるべきなのではなかったか。

沖縄の地だけが太平洋戦争での地上戦の舞台となり、その流れで米軍基地の過大な負担につながっていることについては、日本国民全員、恩義を感じるべきである。

しかし、それとこれとは別のことだ。
左翼チックなマスコミが、それをゴッチャにして論ずるから、話がますますややこしくなるのである。
もうそろそろマスコミもコメンテーター連中も、現実を見るべきではないだろうか。現実を見るように誘導するべきではないか。
でないと、何も進まない。結果、そうしたマスコミやコメンテーターの言説によって、普天間の固定化が行われるだけなのだから。

繰り返す。
「粛々と」が上から目線のニュアンスを含んでいるというのは、漢字の意味としても、言葉自体としても、誤りである。

参考までに、私がこの記事を書くために参照した辞典類は、次の通りである(三国を除く)

2014年4月23日 (水)

筆記具放浪記 (10) シャープはシャープ

シャープペンシルという筆記具の名前は、すっかり一般名詞となっている。シャーペンと略して呼ばれることも多い。

しかし、これは元々、家電メーカーのシャープが初めて世に送り出したものなのだ。

シャープの創業者である早川徳次が、金具職人として親方から独立したあと、ベルトのバックルの発明を経て、次に出した発明品を、「早川式繰り出し鉛筆」、別名「エバーレディ・シャープペンシル」と名付けて世に出したのが始まり。
「繰り出し」とは、今で言う「ツイスト式」であって、海外ブランドのシャープペンシルでは現在もツイスト式が多い・・・ノック式だったものがツイスト式に変わった例もある・・・ことから、言わば「先祖返り」したことになる。

シャープペンシルの事業が順調に業績を伸ばしつつあったとき、関東大震災に遭遇。東京にあった会社は、現在本社のある大阪市に移転。
負債を返却するための資金調達の一環として、シャープペンシルの特許と事業を、「日本文具」という会社に売却した。

新たに再スタートをした早川は、日本初の鉱石ラジオ発売を経て、真空管ラジオを「シャープダイン」の愛称で発売。
以後、社名は早川電機、ブランド名をシャープとして、家電メーカーとして成長して行く。

家電から総合エレクトロニクスメーカーへと事業を拡大していく際、社名をブランド名に合わせて「シャープ」としたわけです。
この社名変更からほどなく、液晶電卓から始まる液晶事業を手がけ、長い道のりを経て液晶テレビ「アクオス」に結実して行きます。

もしシャープペンシルの事業を売却していなかったら、エレクトロニクスメーカーのシャープは存在せず、文具メーカーの一角を占めたかも知れません。
また、シャープがエレクトロニクスメーカーとして事業拡大を志向し、液晶を手がけなかったら、薄型テレビの普及はおろか、地デジ化なども、遙かに遅れたものと思います。

さて、そんな、シャープの原点と言えるシャープペンシル。実は復刻生産されているのです。元々社内用として、来訪者に対する話題作りも兼ねたノベリティグッズとして限定生産されたもののようですが、プラチナから発売されています。

ちなみに、東京メトロの元となった「東京地下鉄道」の創業者は、同姓同名の「早川徳次」!
厳密には、シャープの方は「とくじ」と読み、地下鉄の方は「のりつぐ」と読むそうで、同姓同名というのは当たらないのでしょうが、同じ名前の人が、何れも創業者精神溢れた、野武士的な人物であり、その創った会社が現在まで残っているというのが凄いですね。

もうひとつちなみに・・・。

シャープからシャーペンの事業を受け継いだ「日本文具」。
つい最近まで私は、「大日本文具」だとばかり思っていました。

大日本文具とは、現在のぺんてるです。
シャーペン、またシャーペンの替え芯が素晴らしく、私は永年愛用しています。

しかし。どうも違うようです。どう調べても日本文具と日本文具の関係が浮かび挙がってこない。日本文具はほどなく事業清算している。また、ぺんてるとシャープのホームページに掲載されている会社の沿革を見ても、何の関係もないようです。
ありふれた社名とも言えるが、似すぎといえば似すぎています。だから「日本文具」が「大日本文具」として発展したのではないかという仮説を、完全には否定できない気持ちはあるのですが、ここは一旦検証を断念し、「関係ない」ということとしたいと思います。
(これ、どこかに、似たような説明の仕方がありましたね・・・)

2012年10月 4日 (木)

中共からは手を引け 続き

(前稿から続く)

もともとあそこを中共と呼んでいたのだが、どうやらそれも風化されてきているらしい。ATOKというのは、私が愛用している日本語入力ソフトだし、これに変るものは現状見あたらないが、少なくとも私の使っているバージョンでは、中共というのが一発では変換されない。この記事を書くにあたって、そんなことも気付いてしまった。

さて、今にしてみれば、あそこを侵略したり、勝手に満州国なる傀儡国を作ったりした過去があり、その反動として贖罪意識が強くなりすぎ、それが行き過ぎとなったというのが背景になったのだろう。国交「正常」化という事態を目の当たりにして、最近までは人件費が安いというメリットもあり、どんどんあそこで生産する企業が増えていった。
いや、人件費の安さだけに目がくらんだというのが真実ではないか。

人件費がアッと言う間に高くなり、しかも、あんなリスクを追ってまで、あそこに拠点を置く必然性は、とっくになくなっている。
もう、今からでも遅くはない。引き上げるべきだ。全てのものを。全ての人を。全ての資金を。

贖罪意識というのは、ある意味持ち続けないといけないが、敗戦国の負うべき賠償金などについては、あんな処との交渉以前に、中華民国との間では、とっくに話が終っていることなのだ。蒋介石という、国民党を率いていた人物・・・色々と良い面につけてより、悪い面についての方が批判すべき人物だが・・・日本に対する一切の賠償請求を放棄すると宣言してくれたのである。
その上、基本的には新日であり、良い付き合いを続けてくることができた。それは、あそこと「正常」化する代わりに中華民国を言わば「斬捨て」にしたにも関わらず、現在まで続いている。もちろん、中華民国を台湾という地域名に落とした呼称とした後もだ。

もちろん、それでは収まらない人たちもいるだろう。台湾の漁船団が押し寄せた事案は、彼らの意見を代弁しているのかも知れない。しかし、あそこの指導を受けた、傀儡デモの可能性だってある。

台湾という地域名で呼ぶのはやめて、中華民国という正式の名前で呼ぶべきではないのか。そして、あそこは中共としか呼ぶべきではない。

笑い話に近い事実だが、もっとテレビのコメンテーターたちの誰かが指摘して良いことなのだが、本当に「反日」を貫くのであれば、あそこの国名自体、成り立たなくなるのである。どうする気か。確か、人民も、共和も、日本が明治維新のときに英語の翻訳語として造語した言葉なのである。
もっとも、あそこの図々しさは、日本がこれらの用語を盗んだ、と言いかねないが・・・。

表面では交渉を続けないといけないのかも知れない。邦人の安全が最優先だから。
しかし、ウラでは粛々と、全てのものやカネや人を、引き上げにかかるべきである。

そもそも、あんな国、国連の常任理事国である、という資格はない。
資格がないと言うより、常任理事国の座を簒奪(さんだつ)した、と言うのが正しい。

そもそも、国連の常任理事国というのは、第2次世界大戦の戦勝国が、戦後の地位をより高めるために作った制度である。だから、敗戦国=枢軸国 だった日本も、ドイツも、常任理事国になりたいと何度も試みたが、壁が大きすぎて果たせていないのである。

で、中華民国が戦勝国だったので、あそこの地域を代表する国として、中華民国が常任理事国になったのである。
だから、いくら支配地域が広大だからと言っても、中共には、常任理事国の資格など元々ないのだ。主としてアメリカの考えで中共との「正常」化を急いだついでに、あれを常任に入れ、中華民国をその座から追い出すということをやってしまった。だからあそこだけの責任ではないが、結果として、中共こそ、あの座を簒奪(さんだつ)したと言ってよい。中共こそ、盗人の最たるものである。

暴動の話の戻るが、マスコミも、「反日デモ」という言葉を多用していたのは、実にけしからん話だ。あれは明らかに暴動である。しかも、暴動の原因として日本政府のやり方がまずいとか、日本が悪いとか、そんな言説まで出てくるのだから、実に救いようがない。

暴動は暴動だ。デモとは違う。
これは、学校における犯罪を、「いじめ」などと言う用語で片付けてきてしまっていた体質と同じだ。

韓国とも問題を抱えていて、韓国でも反日デモが行われているが、あくまでもデモである。暴動にはなっていない。少なくともそう報じられている。韓国は韓国で怪しからんのだが、少なくとも国の成熟度という観点からは、中共などとは雲泥の差がある。民度が余りにも低い中共などとは比べるべくものではない。

(この稿さらに続く)

2012年10月 2日 (火)

中共からは手を引け

まあしかし、驚き呆れたと言うしかない。

もう、こんな国とまともにつきあうことはできない。
早く、このことに気付くべきだったのではないか。

デモに名を借りた暴動を許したばかりか、その責任を日本がかぶるべきだとか、果ては日本を盗人(ぬすっと)呼ばわりして国連の場で罵倒するとか、何なんだあれは。

忘れてしまった人が多い、または多くなった。または、そもそも知らなかった人も多いと思うが、国交「正常」化の前後まで、あそこは中共と呼んでいた。もちろん中華人民共和国の略なのだが、中華民国という国を正統と認め続けていたわが国では、主として保守ないしは右よりの人たちから、「アカ」という侮蔑的なニュアンスも込めて、中共と呼んでいたのである。

もう、あんな国を中国などと立派な名前で呼びたくはない。
もう、あんな国とは付き合うべきではない。
もう、あんな国を相手にすべきではない。
もう、あんな国からは手を引くべきだ。
もう、あんな国と、関係を修復しようなどと、幻想を振りまくのは止めるべきだ。
もう、あんな国であんな被害に遭った拠点の再建など、やめるべきだ。
もう、あんな国と何らかの交渉を持つべきだという、コメンテーターの発言は聞きたくない。

もうあの国との貿易は諦める時だ。
もうあの国に行って観光を、なんて無駄遣いは止めるべきだ。
もうあの国からは一切の拠点を引き上げるべきだ。

あの国がもう少しまともな国に生れ変るまで、一切の付き合いは止めるべきだ。
あの国がもう少しまともな国に生れかわるまで、一切の期待、幻想を抱くのは止めるべきだ。
あの国がもう少しまともな国に生れ変るまで、あの国を中国などという名前で呼ぶのは止めるべきだ。中国というのは美称である。
共産党の国ではとっくになくなり、共産党という名前を持つ党が単に一党独裁をつづけている、または続けようとしているだけの処である。だから中華人民共和国に対して「アカ」の意味を持たせた蔑称として中共と呼ぶのはふさわしくない。しかし、他に適切な呼び方がない。

だから、余り適切ではないが、中共と呼ぶしかない。
ちなみに、支那とかシナとか言うのも、どうやらこれは蔑称ではないというのが事実であるらしいので、使うべきではない。支那と書くと日本の「支」である「那」(くに)という意味が付け加わってしまう感じがするのでふさわしくないかも知れないが、いつかの機会に、シナという発音の呼び方を復活させるべきだ。
そのとき、あそこがまともな国になっていないのであれば、国名に関する呼称の相談は、中華民国とするべきである。

何度も繰り返す。あそこからは手を引くべきだ。
今からでも遅くはない。ふそこからは手を引くべきだ。
既に生産拠点としての意味はなくなっている。あそこからは手を引くべきだ。
進出してしまった企業の人たちよ。今からでも遅くない。むしろ、日本人の従業員を守るのであれば、あんなリスクの巨大なところからは、手を引くべきだ。

(この稿続く)

2011年8月 5日 (金)

「践祚」くらい、一発変換して欲しい

「日本の10大天皇」の書評を書くとき、孝謙天皇が重祚して称徳天皇に・・・」と書こうとしたら、変換候補に出てこない。
仕方ないので「践祚」をベースに加工して単語登録しようとしたら、そもそも「践祚」が出ないので驚いた。

践祚(せんそ)とは、皇位を継ぐことである。
ちなみに、手許の「新明解国語辞典 第5版」では、「前の天皇に事故があったとき、後継者が後を襲って直ちに天皇の位につくこと」とある。
んー、ちょっと違うし余計な意味を付け加えた説明だと思う。

この辞書では付記として、「一定の時間が経過したあと、別に即位の礼を行う」とある。
そうには違いないが、「事故が」云々とか、「後を襲って直ちに」は余計だろう。それだと、「重祚」(同じ人が2度天皇になる)にも、「事故が」などの余計な意味がついてしまう。

また、「重祚」を「ちょうそ」で引くと、「じゅうそ」で見よ、とあるのも違和感がある。これは「ちょうそ」がメインでいいと思うのだが。
ひょっとして・・・と、「じゅうそ」で変換できるかどうか試したが、やはりダメだった。
前にも書いたが、Windows付属のIMEにほとほと愛想が尽きて、現在はATOKを使っている。それで、この体たらくだ。

それこそ天皇の代替わりのときにしか使わないから、というわけではなく、日本史について天皇家をからめて書くとき、必要な言葉である。
仕方ないので単語登録したので、ここではスムーズに書いているが、こんな言葉くらいは一々単語登録をせずとも、一発変換して欲しいものである。
ちなみに、「践祚」は日本語独特の言葉でもあるようで、英語ではそのまま Senso Ceremony と言うはずだ。

2011年7月 2日 (土)

石油を生成する藻 オーランチオキトリウム 続き

6月26日付けの記事で書いた、オーランチオキトリウムに関することで、当初は予定していなかったのだが、続きを書きたい。

6月30日付けの毎日新聞に、これの研究を進めている筑波大学の渡辺教授が「オピニオン」欄に寄稿していた。

それによると、炭化水素を生成する藻の種類は多いが、その殆どは植物性油脂を発生するものであり、そのまま軽油やガソリンなどに分けるには多くの技術的歌題やコストの問題がある由。それに対してオーランチオキトリウムは動物性油脂を生成するものであり、また効率も高い株を確保できたのが教授の研究室だとのこと。

アメリカで進んでいる研究で、どのような藻が使われているかは明かではないが、恐らく技術面でもコスト面でも、日本が最先端を行くものである、ということである。

教授は、従って国家戦略としての取り組みが必要と、記事で訴えているのだが、わざわざこんな寄稿をしている処を見ると、余り進んでいないのだろう。いや、殆ど進んでいないように見せかけているのは深謀遠慮があって戦略的にそうしているので・・・と思いたくもあるが、戦略があるように好意的に思いたかったことが、実は本当に何もやっていなかったというのが今の政権なので、希望的な観測を持つことは止めておく。

それにしても、スパイとまでは言わないにしても、感度の良い外交官であれば、こうした記事、即座に本国に打電するはずだ。「そんなに進んでいないなら、金銭面で援助して研究を加速して、恩を売っておこう」と考えるか、「日本がその程度であれば、まだまだ我が国の研究の方が早い。だからどんどん進めて行こう」と思うか、国の事情や体質・体制によっても異なるだろうが、困ったことにならないと良いのだが。

そもそも、オーランチオキトリウムなどという藻について、一般には殆ど知られていないだろう。私は、たまたま「たかじんのそこまで言って委員会」を見ているので知ることとなったのだ。もっと多くの人に知られて良いのではないだろうか。

そして、研究予算についても同様のことが言える。

自然エネルギーについても然りだが、これまで原発一辺倒で予算もそればかりにつぎ込んできたのを改め、多くの予算と人員をつぎ込んで技術開発に取り組めば、もっともっと優れた成果が出てくるのではないか。
この記事を読んでますますその気持が強くなった。

今後とも、随時、自然エネルギーについても、石油そのものを生成する、この藻についても触れて行きたい。

2011年6月26日 (日)

石油を生成する藻 オーランチオキトリウム

「たかじんの そこまで言って委員会」という番組を愛聴している。
関西テレビで毎週日曜午後1時半から放送されているもので、政治を中心としたトークショーといった内容。
東京方面には流れていない由で、出席者がそれぞれ遠慮のない発言をする。1週間、中途半端な、時には官製の情報をただ流すといった趣きのニュースやニュースショーばかり見聞きしてウンザリした処に、「実は、このようになっている」などの話が聞け、「よく言った」「へえ、そうだったのか」など、実にスカッとした思いにさせてくれる。

この番組の未公開場面などと、新たに撮った映像を交えて、1ヵ月に1度、土曜に「増刊」版が放送される。こちらは余り見ていないのだが偶々本日2011年6月25日に放送されていたのを見たら、驚くべき内容が紹介されていた。

タイトルにある藻の名前は、パネラーの1人である勝谷氏が何度も何度も繰り返し番組内で紹介し、他のパネラーからも、やしき委員長からも、辛坊副委員長からも「しつこい」とうるさがられていたものである。あるときには勝谷氏自らがキッチリと時間を取って説明するという回もあった。

ところが、そのときに聞き逃していたのだが、最近、NHKの何の番組だったか忘れたが、アメリカで「石油を生成する藻」の研究が既にかなり進んでいて、ジェット機を飛ばす実験にも成功したということが紹介されていた。これを見て私もようやく信じるに足る情報だと思ったのだ。
ところが、本日、その勝谷氏の発言内容が改めて紹介されたのを見ると、既にアメリカで云々とかジェット機を飛ばす実験云々の話は勝谷氏が発言していたではないか。

ここからが本日の「増刊」独自の内容になるが、この研究を日本で進めている筑波大学の研究室に行って、担当教授に取材したら・・・というもの。

まず、研究室が既に厳重なシークレットエリアになっていることに驚く。教授によると、政府筋の指導だとのこと。
そして、この研究を進めている国として他にアメリカがあり、タイでもやっていて、そして何とサウジアラビアからの引き合いもあったそうだ。サウジアラビアの現国王は、今のように石油で稼ぎ続けることは、いずれできなくなる、石油の埋蔵量は無限ではない、と考えている由で、こうした研究に注目しているのだそうだ。

サウジアラビアの担当官が、教授に「いくら払ったら研究を前に進めることができるのか。100億円ほどか」と聞いてきたので、「とてもそんな金額では、何もできない」と、教授は断った由。

ここまで紹介されると、いよいよ信じざるを得ない。

元々番組内で紹介していた勝谷氏が、時々国粋主義的な、エクセントリックな発言をするものだから(また、それを彼自身、自分の立ち位置として、または「売り」としている風な処が感じられるので)、私も話半分に聞いていたのが正直な処である。

原発依存から、自然エネルギーへ、という論議があちこちで起こっているが、それらは殆ど「原発に代わって、どのような手段で電気を確保するか」を論議しているわけだ。
それに対し、「石油を生成する藻」の話は、石油に代替するものとして、どういうものがあり得るか」がテーマである。この藻から生成される石油は、地下から採掘される石油と、ほぼ同じような使い勝手の良さがあり、燃料としての用途だけでなく、プラスチックの原料にもできるらしい。
日本国内に既にある広大な休耕田を活かすだけでも、国内の石油の輸入量の殆どをまかなうことができるとのことだ。

太陽光を始めとする自然エネルギーが余り普及してこなかったのは、原発中心で行くと決めた過去の政策の歪みによるものと考えている。普及のネックになったのが電力の1社独占供給体制によるということなどが論議されるようになった。しかし、忘れてはならないのが、技術的な側面だと思う。
技術面でも、研究費に予算をもっとかけていれば、現在よりももっともっと発電効率の良い太陽電池が発明されていたかも知れない。

今からでも遅くないから、自然エネルギーに対して、研究費も合せて、予算をかけてゆくべではないだろうか。

そして、発電方法の「脱・原発」と併せて、この「藻」のように、石油代替品そのものについても、予算をもっとかけて、研究から実用化に向けてスピードを上げて取り組むべきだろう。
幸い、冒頭に紹介した通り「政府筋の指導」があったそうだからある程度は認識されているのだろうが、アメリカが既にジェット機を飛ばしたとか、サウジアラビアが買いに来ているということが既に怖い。

2011年5月 8日 (日)

阪急電車 (7)

(前稿からの続き)

さて、阪急電車と阪神電車か長い間ライバル意識が強いとされてきていた。そもそも先行開業していた「阪神電車」に対抗して「阪神急行電鉄」と名付けたのが「阪急」と称されるようになったわけで、「ウチは阪神より速い」とは、喧嘩を売っているのと同じだ。

戦前戦中期、軍の要請もあり東西で色々な私鉄の統合、国鉄への吸収などが行われ、阪神と阪急も一旦交渉のテーブルには着いたのだが、遂に合併には至らず、それでも今津駅で阪急今津線と阪神電車が直通できるよう、連絡線は設置。
それでも、その痕跡は、少なくとも1960年代までは残っていた。

状況が大きく変ったのは、2005年のことである。
村上ファンドが突如阪神電鉄の筆頭株主となったことを公表し、阪神タイガーズの株式上場や、京阪電車との経営統合などを株主提案するに至った。
京阪電車との統合は、JR、阪急電車と並んで、もう1本の神戸~大阪~、京都の路線を構築し、競争してゆく中でシッカリした経営体制を築く目的がある。村上ファンドの手法に問題はあっても、経営の観点からはスジの通ったものであった。

しかし、阪神タイガーズファンをはじめ、経営陣・株主・沿線住民の反発が強く、経営陣は京阪以外の私鉄に合併を打診。

一案として、近鉄にも打診したことがあったはずだ。2009年3月には阪神が難波まで延伸し、近鉄と相互直通運転を行うことになっていたから、これも経営の観点からはスジが通っている。

紆余曲折の結果、阪急が「ホワイトナイト」として名乗りを挙げることとなり、村上ファンドの持ち株も含めてTOBを実施。「阪急HD」が筆頭株主となり、その元で阪急と阪神が統合されることとなった。
これには驚いた。阪急と阪神がライバル意識が強い・・・ということは両方の沿線住民の間では結構知られた話だったので、驚いたのは私だけではなかったはずだ。
戦争中、軍の力でもできなかった両者の経営統合が、1人の乗っ取り屋の力で可能になったのだから、一層驚いた。

そして思ったのは、今津駅における連絡線が残っていたら・・・ということである。
阪神の今津駅も阪急の今津駅も高架化されたが、かつてのように阪急の今津駅が阪神の今津駅に寄り添った形ではなく、完全に離れた駅となってしまった。
その気になれば延長部を作れるほどの短い距離なのだが、コストに見合うだけの効果を上げるのは、もはや難しいと判断しているのだろう。

しかし、もし今津駅の連絡線が残っていて、尚かつ西宮北口の今津線の南北分断がなければ、阪神沿線から宝塚方面に直通する電車の運行も可能となったわけである。
さらに言うと、難波で近鉄と阪神の相互乗り入れが2009年に始まったとき、近鉄難波発、阪神尼崎、阪神今津経由、阪急宝塚行き、などという電車の運行もできたかも知れない。

さて、鉄道ファンを自認している私だが、カメラを常に持ち歩く習慣はない。とくに学生時代ともなれば、そもそもカメラだけでなくフィルムも高価なもので、カシャカシャ撮りまくる金銭的余裕などない。
それで残念に思っているのは、ここまでに述べてきた各路線の痕跡や当時の状況をカメラに収めたものが殆どないことである。

阪急西宮北口の平面交差の写真だけは残しているので、将来ご紹介する機会もあるが、今津駅のおける連絡線の痕跡、阪神武庫川駅から北に延びて国鉄まで繋がっていた路線跡など、何れも目にはハッキリ焼き付いているのだが、お見せできるものがない。

さらに言うと、近鉄難波発、京阪三条行きという電車が1970年代まであり、京阪三条駅に近鉄の電車が停まっている光景も覚えている。京阪と近鉄の丹波橋で相互乗り入れが行われていたためだ。これも軍の意向で接続線を作ったのが始まりらしい。
その連絡線の痕跡も、かなり後まで残っていたのだが、京阪三条駅に近鉄電車が停まっている情景とともに、カメラに収めたものはない。

せめて、僅かに残っている古い情景を、折を見て「題名のない鉄道館」にアップする予定で、その中に「鉄道と情景の記録」のコーナーを設けたのだが、中々作業ができないでいる。

2011年5月 6日 (金)

阪急電車 (6)

(前稿からの続き)

戦前から戦中にかけて、軍の意向や要請により、軍の関係する工場への従業員や貨物の輸送の便を図るため、軍用の新線建設や、既成の路線の合併や統合が進められた。

東京では、東京横浜電鉄が核となって小田急電鉄、京王電気軌道、京浜電気鉄道を合併し東京急行電鉄となった。現在の東急に対し、この当時の名称を「大東急」と呼ぶ。また、2つの経営母体に分かれていた地下鉄が「帝都高速度交通営団」(営団地下鉄)として纏まった。

関西方面では、大阪と奈良を結ぶ路線を中心に発展していた大阪電気軌道(大軌)が中心に関係会社としての路線を合併し「関西急行電鉄」(関急)となり、さらに現在の南海電鉄をも吸収し、「近畿日本鉄道」となったのが代表例で、その他、現在の阪急電鉄が、京阪電鉄を合併して「阪神急行電鉄」から「京阪神急行電鉄」となったり、南海電鉄が「山手線」として建設していた天王寺~和歌山の路線が国有化され現在の阪和線になったりもした。
ちなみに、阪急電鉄は、戦後解体する際、京阪電鉄が淀川右岸に「新京阪電鉄」という子会社に建設させてた「新京阪線」を取得。現在の京都線としている。大阪、神戸、宝塚エリアの路線網から京都エリアに拡大したわけで、戦後も長い間、「京阪神急行電鉄」が正式名称であった。

こんな情勢なので、当然、阪神と阪急に対しても、経営統合の要請があったのだか、結局不調に終り戦後に至るのである。軍の力をもってしても、統合がならなかったというのがスゴイ。

その代わりと言ってよいのかどうか、今津駅には、阪急と阪神を結ぶ線路が設置された。
しかし、戦後すぐにこの連絡線は切断されてしまった。

ちなみに、この西宮近辺では、武庫郡鳴尾村にあった川西航空機(現在の新明和工業)への輸送のため、阪神の武庫川駅から客貨両用の路線を建設。さらに国鉄と結ぶために(軌間が異なるため)阪神武庫川駅から武庫川岸を北上し甲子園口を経て西宮駅まで、三線化もされた。
この、阪神武庫川から南下して建設された路線が、現在の阪神武庫川線である。

阪急今津線の仁川近くにも川西航空機の宝塚製作所があり、先に述べた阪神今津での接続線も、それと関係したものであろう。

(この稿さらに続く)

2011年5月 4日 (水)

阪急電車 (5)

(前稿からの続き)

もともと、西宮北口駅に今津線と神戸線の直角平面交差があったのは、今津線の建設当時の土木技術が未熟だったためか、または予算の関係で見送ったと思われるわけだが、神戸線のホーム延伸によって今津線が南北に分断されることとなった。
そのとき、少なくとも最初の頃は、今津線を高架化して神戸線をまたぐ構造にすると表明していたような記憶がある。

昨年2010年は行く機会がなかったが、一昨年の2009年、阪神大震災の後に西宮北口駅のそばにできた兵庫県立芸術文化センターに、コンサートを聴きに何度か通ったことがあり、そのとき、久しぶりに今津線(南線)と西宮北口駅を利用した。
まだ工事が続いていて、駅の構造自体も高架化されていること、そして神戸線の線路とホームは地平のままであることを知った。

しかし、今津南線は、既に今津駅から次の阪神国道駅までが高架化され、阪神国道駅から次の西宮北口駅までが高架化工事の途中であった。
こんな光景を見ると、「ひょっとして、やはり南北を高架で直結するつもりなのか?」と思いたくもなるものだ。

そこで、本稿を書くために、コンサートに行く機会はないため、最近の状況をネット等で調べたら、何と!南線は高架化が完了して駅の2階にホームも設置されたのに、北線は、地平のままなのである。
それでもまだ、北線を高架化させて南線と直結する方針は残っているのかも知れないが、北線で2つ宝塚よりの「甲東園」の近くには山陽新幹線の高架があり、そこをどう通すかという課題があり、中々難しいのかも知れない。しかし、間に1駅あるのだから、新幹線の上をさらに高架で超えること自体、技術的には何とかなるのではないか。費用のことを考えると、とてもそんなことに投資はできないと言うことなのだろうか。

このまま今津線が南北に分断されたままとなるのは、何とも残念なことである。

残念と言えば、今津線(南線)には、もう1点、残念でならないことがある。

阪神の今津駅も、阪急の今津駅も、現在は何れも高架化されたのだが、少し離れた処に位置しているのである。歩く処には屋根があって繋がっているので、雨などの心配はないのだが、少し離れているので、乗り換えは面倒だ。

しかし、かつて阪神と阪急の今津駅は、何れも地平にあり、寄りそうように設置されていた。
南に向かって進んできた今津線が、阪神の今津駅の寸前、直角に近い角度で東に向きを変え、阪神の今津駅のすぐ北側に設置されたホームに到着していた。
そのホームは、薄い板1枚だけ隔てて、阪神電車の大阪方面行きのホームに繋がっていた。
いや、正確に言うと、1つのプラットホームを横方向に1枚の板で分割し、北側を今津線、南側を阪神の大阪方面行きが使うという形だったのである。

どちらも地平にあった当時、もともと阪急と阪神はライバル意識が強いこともあってか、乗り換えには一度改札を出る必要があった。

しかし、ライバル意識があったのに、なぜか、今津線の線路の先が、明らかに阪神電車の大阪方面行きの線路に繋がっていた跡があったのである。

(この稿さらに続く)

2016年4月
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