カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

2015年4月10日 (金)

何で「粛々と」が上から目線なのか

今頃になって、前の知事が容認した辺野古移設の工事を、許可取り消しの可能性もほのめかしつつ、ゴタを述べている愚かな知事がいる。
そして、挙げ句の果てが「政府側が粛々と進めると言うが、言われるたびに、上から目線を感じて不愉快に思っている沖縄県民が云々」の発言だ。

それをまた、左かかったマスコミが、「それも一理ある」とばかりに、三省堂国語辞典(以下、「三国」)の語釈を引っ張り出して、バカの援護に余念がない。

しかし、これこそ、為にする議論に他ならない。

三国に掲載されている「粛々」の語釈は次の通り。

  1. おごそかで、ものしずかなよあうす。(文例略)
  2. 何が起こっても、予定どおり着実におこなうようす。「―と業務をこなす」

まあ、この②の語釈を見つけて、マスコミのはしゃぐことはしゃぐこと。また、よく調べもせずにその解釈に乗ってしまうコメンテーテーターのバカさ加減には、つくづく驚き呆れるばかりだ。

だけどこれ、そんな「上から目線」の意味を含んでいるのだろうか。
②の語釈、ちゃんと読めば、単に客観的に、進める様子を表しているだけのことなのではないのか
最近まさに、この三国を第一リファレンスとした経緯を持つ身としては、こんなことに「活用」されるのは、甚だ腹立たしいことなのだ。

そう思って、他の手持ちの辞書類にあたると、驚くべきことが分かってきた。

殆どの国語辞典(広辞苑も含む)には、上記の①に相当する語釈しか載っていない。そのこと自体が、②の語釈そしてそれを「上から目線」のニュアンスをもって解釈することが無理筋だということを示している。

それどころか、漢和辞典の幾つかで調べると、「粛」には「おそれ慎んで」とか「身を引き締めてかしこまる意」という説明があるし、新潮日本語漢字辞典には、類語として「謹」を示している(謹賀新年の謹)

要は、「粛」という文字のには、「上から目線」どころか、おそれ敬ってかしこまるといったニュアンスがあるのだ。全く逆なのだ
なぜ、こんなことを、ロクに調べもせずに、あの知事をサポートするが如き言説に用いるのか。少し調べれば分かることのはずだ。一市井の私が調べても分かったことなのだから。

さらに驚いたことに、官房長官も首相も、何の反論もせずに「不愉快な思いをされたのであれば、以後は使わない」と引き下がってしまってていることである。本来はこの前半に「粛々という言葉には、そうした『上から目線』の意味はなく、むしろ反対の意味合いがある」と付け加えるべきなのではなかったか。

沖縄の地だけが太平洋戦争での地上戦の舞台となり、その流れで米軍基地の過大な負担につながっていることについては、日本国民全員、恩義を感じるべきである。

しかし、それとこれとは別のことだ。
左翼チックなマスコミが、それをゴッチャにして論ずるから、話がますますややこしくなるのである。
もうそろそろマスコミもコメンテーター連中も、現実を見るべきではないだろうか。現実を見るように誘導するべきではないか。
でないと、何も進まない。結果、そうしたマスコミやコメンテーターの言説によって、普天間の固定化が行われるだけなのだから。

繰り返す。
「粛々と」が上から目線のニュアンスを含んでいるというのは、漢字の意味としても、言葉自体としても、誤りである。

参考までに、私がこの記事を書くために参照した辞典類は、次の通りである(三国を除く)

2015年2月 6日 (金)

エスペラント

(副題「異端の言語」 田中克彦著。岩波新書。2007年6月30日 第1刷。お薦め度 3.)

昨年の秋、私の「題なし」に収録している「雑学頓珍館」の全面的な校訂を行った。
その際、エスペラント語に関する章が付録としてついていたので、改めてエスペラント語とは何ぞや? と思うに至り、手に取ったのが本書である。

それまでにも「4時間で覚える地球語 エスペラント」という本を私がそのページで紹介している。

しかしその本は覚えるのが主目的となっているためもあってか、世界の言語の中における位置づけとか、文化的な背景、またその広がりなどについては殆ど触れていなかった。校訂を終了したあと、もっと追記すべきことがないかどうかを確認する目的もあった。

結論として、校訂に付加すべきことはなかった。

ラテン系の言語をベースにした人工語であるという私の感触もその通りだったし、私が以前から疑問におもっている、エラソーに言う割りにはエスペラント=ネイティブの文学作品の一つも披露されないではないか・・・という点も、基本的には解決されないままだ。

何よりも面食らったのが、本書における平仮名表記の異常に多いことである。1箇所だけ引用しておくと・・・。

「こういうしろうとにかこまれていただけでなく」
そもそも、何でこんなに仮名が多いのか。読みやすくしているつもりか? しかし、これって、却って読みにくくなっているではないか。

本書によって知ったのは、この人工語は「革命的な言語」だとして、ボルシェヴィキがソヴィエトの共通語として採用しようとしたことがあったこと。ロシア語からすると比較的覚えやすかったらしい。また大杉栄などが賛美し、覚えて使ったということだ。

私は、これによってかなりのことが、氷解した。
戦前、大本教という新興宗教が2回にわたって大弾圧を受けたという事件があった。私はずっと、それは国家神道という一神教に対し、別の神を祀ることがケシカランということが原因なのだと思っていた。
しかし、大本教はエスペラントを支持し、広めようとしていた。

これだと、当時はハッキリ反体制どころか危険思想を標榜しているようなものだ。

また、父がエスペラントを少しカジっていたわけだが、一時、仮名文字で年賀状などを書いていたことがあった。当時のタイプライターの性能の成約によるものと思い込んでいたが、ひょっとして、ナカモジカイの考え方に結構惹かれていた時期があったのではないだろうか。すると本書でイヤに平仮名が多い表記を採っていることと符合しそうだ。

また父は、一時期を除いて、一貫して左寄りの思想の持ち主でもあった。これは戦後の風潮をそのまま引きずったというか、戦争を体験した者としての反省から来ているものもあったかも知れないし、或いは別の理由があったのかも知れない。今となっては確かめることが出来ないのだが・・・。

また、大学時代の旧友で、お寺の住職を務めている人物がいる。
この寺のホームページは、エスペラント表記のページがある。
思えば、彼は、今も時々会っている仲間内で、最も左翼思想に近かったはずだ。(運動にこそ参加しなかったはずだが、他の仲間よりはかなり左だった)

まあ、そもそも岩波新書たものねえ。

結論として、私はこの人工語には否定的である。
内容もさることながらこの点により、お薦め度は高く付けることはてきない。
これに費やす時間があるなら、英語を始めとして、ちゃんとした言語を勉強する方がいい。

蛇足だが、大本教は戦後も存続していて、世界救世教をはじめ、戦後生まれの新宗教の幾つかが分派していった。
また、ホームページには、エスペラント語のページがある。現在でも支持しているようだ。

2015年1月30日 (金)

海賊とよばれた男 (上)(下)

(百田尚樹著。講談社。(上)2012年7月11日第1刷。2013年4月30日第23刷。 (下)第1刷同上。2013年4月26日第22刷。 お薦め度 何れも 5)

出光興産という会社には、昔から関心があった。と言うか、リスペクトしてきていた。

大きな要因は、「題名のない音楽会」の単独スポンサーを、1964年の番組開始時から一貫して続けてきいる点である。別ページ「ミニ音楽評」でも度々取りあげているように、私がずっと見続けていて(武田鉄矢時代は全く見ず、羽田健太郎時代は飛び飛びだったが)、こうした番組を民放で続けて行っているという姿勢に感嘆し、また時折現在でも触発される、音楽に関する知的な悦びを喚起する番組として、大切に思っている。

もう一点、永らく非上場で、かつ海外の会社と殆ど提携することなく、独立した立場を続けてきていることである。学生時代にアルバイトで石油業界の市況を纏める仕事をしたことがあり、調べて行く中でそのことを改めて知った。

このため、出光興産の創業者の一代記として宣伝されたこの本が出たとき、迷わずすぐに手許に取り寄せた。2013年の本屋大賞をとったということもあるが、何回か「本屋大賞」の看板につられて失望した経験もあるので、出光興産の創業者の話でなければ読まずにいたかも知れない。

ストーリーを追って紹介するのは控えるが、とにかく痛快。とくに、下巻で戦後のことに話が及んで行くと、面白くてやめられなくなった。一つ前の記事で取りあげた「尖閣問題」では読後怒りに震えて眠れなかったのだが、本書は読後も暫く興奮冷めやらず眠れなかった。
とにかくこの著者はストーリー運びが巧い。

上岡龍太郎が司会だった時分によく見ていた「探偵ナイトスクープ」だったということもあって親しみもあったし、佐渡時代になったからの「題名のない音楽会」にも出たことがあり、中々の見識も披露していて、益々親しみを感じた。

だから、本ブログで久々に「常推薦」とすべき本に出会ったナ・・・と思っていたほどである。
あの一件がなければ。

あの一件とは、都知事選に立候補した田母神の応援に回った件である。
よりによって田母神はないでしょ。あの人は極右だよ。東京裁判を否定し、日中戦争を侵略でないとし、太平洋戦争(こうした人たちは必ず「大東亜戦争」と称したがる)も防衛戦だと言う。私はこうした考え方をする人には全く賛同できない。安倍首相もそうしたことを匂わせる考え方で、田母神と同じ価値観のようだから危険なのだが・・・。

というわけで、もうこの著者の作品を読む気は失せた。
しかし、作品の面白さは捨て難い。従って、お薦め度は2冊とも 5 とし、リンクも付けておく。ただ、既に文庫化されていて原本は入手しにくいようなので、文庫の第1巻のみリンクしておく。

余談だか、リンクを貼るついでに読者レビューを見たら、随分酷評されているようだ。ひょっとしてあの一件がなかったら、また大阪でなく東京を中心に活動してきた人だったら、もう少しマシなレビューとなったかも。

2015年1月12日 (月)

検証 尖閣問題

(孫崎享編。岩波書店。2012年12月21日第1刷。お薦め度 -5)

この本についてはマイナスの評価しかできない。
読後、怒りに震えて眠られなかったほどだ。

通常こうした本に出会ってしまったら、何も書かずにブックオフに直行・・・とするのだが、この本ばかりはそれもしない。廃品回収行きとする。リンクも付けない。

批判の一言二言は書いてからと思っているうちに時間が経ったが、何がどういけないのか。

要は、尖閣問題とというのは、カイロ宣言・ポツダム宣言・サンフランシスコ条約に一貫して書かれている、「日本には本州・四国・九州・北海道の主要4島と、連合国が認めた若干の島々にのみ主権を認める」という処に立ち帰らないと解決できないと主張しているのだ。

「朝までナマテレビ」にも出たことがあるようだが、出席者一同から総スカンを喰ったそうな。あの、左翼が主流の番組においてである。

彼の主張は一部において正しいので、あまりこうしたことに関心を持って来なかった人は騙されてコロリと行くのだろうか。始末が悪い。
一部正しいのだが、その上で尖閣というのは沖縄の一部として連合国(米軍)が占領し、変換時も沖縄の一部として変換されたという事実はどう考えるのか。また、あの国がにわかに領有権を主張し出したのは、あの海域に資源が眠っているという情報をキャッチしてからだという事実はどうするのか、ということである。

彼の主張を通して行くと、沖縄まであの国のものとなってしまう。北方4島も、全部ロシア領だ。

私はこんな本、通常なら見向きもしない。手にとった理由は、ある大先輩が推薦していたから、という1点にすぎない。実に残念なことだ。

困ったことに、ときどきテレビで、「○○に詳しい」とか「元○○大使の」とか言ってコメントを取りに行ったりしているのだ。もう少し相手を見てコメントを取ってもらいたいものだ。
もっともっと、ずっと素晴らしい「元外交官」も「元大使」も存在するのだ。

だって、鳩ポッポとともに外交研究会などを立ち上げているのだ。押して知るべしだ。
ようやくこの一文を書く気になったので、即刻目の前から消えてもらうことにする。

まあ、それでも・・・という人は買って見てください。出版社などは一応記載しておいたので。まあマトモな人なら、「何じゃこれは」と思うのではないだろうか。

 

2012年10月10日 (水)

山中教授のノーベル賞

まずは、大変めでたいことだ。
私は、受賞直後の夕方のニュースショーで採り上げられてすぐに知った。
事前にワイワイと番組内で「取れる可能性」について喋っていたが、「どうせ、またダメなんだろう」くらいに思っていた。年齢が若いということもあるし、具体的な成果・・・新薬の開発や再生治療の成功など・・・がまだ出ていない段階ということもあったし。

にも関わらず、受賞ということになった。

自慢じゃないが、2006年にマウスでiPS細胞の作成に成功したというニュースが流れたとき、新聞で見たのだったと記憶するが、「これはノーベル賞だ!!! 」と叫んだものだ。
結構、いいカンしてるでしょ。
何年かかるか分からないが、何れかの段階で受賞というのは予想していた。

早々にこんな予言(?)をしていたこともあるためか、古くさい言い方になるが、まるで自分のことのように嬉しい。

処が、色々な番組で紹介されるうちに、これまでの受賞者に比べても異様と感ずるほどまで、好意的かつ親しみと大きな期待をもって受け止められているようだと気が付いた。

それは、ある番組で言及していたのだが、内容が分かりやすいという点にある。
勿論、研究の手法や進めた方については、専門外である我々外部の人間に理解できるはずもない。しかし、期待される成果が、非常に分かりやすいのである。
この研究によって、どんなことが期待できるか、というのが分かりやすい。

多くの人にとって分かりやすいということは、換言すると、非常に基本的な技術に関することだ、ということになる。ということは技術の拡散に注意が要る。ある程度の拡散は仕方ないことだろうが、既に京大で基本特許を押さえているとのことで、かなり防げるだろう。

願わくば、日本で進んでいる応用研究が、一つでも多くの成果を生み出して欲しいものだ。国も、さすがにノーベル賞とあっては、予算をケチって行くことにはならないだろう。

さて、教授の最初の受賞記者会見の始まる直前、野田首相から電話が入り、続いて記者会見の最中に田中文相から電話が入った。
政治家ってサスガだと妙に感心させられたのだが、よく考えてみると、首相はギリギリ許せるとしても、田中のおばちゃんの電話はハッキリKY(気がめない)ではないか。
しかも、自分の考え方で文科省に予算措置をさせてきたわけでもない。

ともあれ、マスコミも、山中教授を引っ張り回すのは早々に切り上げ、早く、静かに研究ができる環境を整えて欲しいものだ。

2012年10月 6日 (土)

中共からは手を引け 続々

公平を期すために(??)政府の対応に対しても言及しておく。

「そもそも、領土問題は存在しない」などと言って、キッチリした対応を逃げてきていたのは、何党の責任だと言うのか。これは、民主党の責任ではない。
ちゃんと、北方領土の問題と竹島と、尖閣のことを、異なるシチュエーシュンであることを踏まえて説明してこなかったのは、どの党だ。

百歩譲って、北方領土については、少なくともロシアの指導者が交代するたびに言及されてきた。その一時だけは。
しかし、竹島はどうか。教科書には書いてあるようだが、これを含む現代史を教えてこなかったのは、どの党だ。少なくとも、学校でその時間が取れないというのであれば、執るうに指導は出来る・・・指導して環境を整える策を打つようにできる・・・立場にありながら、何の手立ても打たずに放置していたのは、どの党だ。

尖閣はどうか。

北方領土の問題は割と知っているし、竹島についても少しは知っているし、日中関係についても多少はは知っているつもりの私でさえ、この事案があることを知ったのは、つい最近のことに過ぎない。
事案の存在は知ったが、なぜ我が国固有の領土だと言えるのか、筋だった説明を余り聞いたことはない。
比較的分かりやすくテレビで説明していたのは、政治ワイドショーではなく、バラエティの中の一つのコーナーだった。何でバラエティなのか。それも関西ローカルだ。何で、政治ワイドショーの類でやらないのか。

国連での応酬の一部を見ると、中共と我が国の議論、全くかみ合っていない。あれは実にまずい。

「中共が日清戦争のとき、日本が盗んだ」と言ったときだ。なぜ、それに乗って、こちらから議論がかみ合うように持って行かなかったのか。
盗んだという言葉に対しては抗議するのが当然だが、そこに留まらず、日清戦争よりも前に日本が領土にしていたと説明するなり、ポツダム宣言で日本が放棄する領土に含まれていない(とされていると何かで見聞きした記憶が私にはある)とか、議論がかみ合うように持って行く方法は幾らでもあつたはずだ。

で、そうした歴史的な背景や、当時の日本との力関係なども含めて、筋だった説明をすべきだ。少なくとも民放で限界があるならば、NHKでこそ説明すべきだ。

さて、これは民放でのコロンテーターの発言。
「この問題、お互いに、解決する意志があるかどうかにかかっている」
「両国が、今後の世界経済をどうしてゆくか、話し合うべき」

何を未だにこんなアホなことを言うのか。何を血迷っ発言をするのか。解決する意志があるかどうかは、中共がもっとまともな国となって出直してくるか否かにしか、答はない。
今後の世界経済を云々に至っては、この問題を抜きにしても、あり得ない話である。

未だにこんな発言を放送するだけのテレビ。
最近、つくづくイヤになってきている。

繰り返す。

中共からは手を引け。
粛々と手を引け。

困るのは中共だ。
我が国も大いに困るだろうが、相手はあそこだけではない。
より好かれ、より信頼されているのは、我が国の方だ。それに、中華民国があるではないか。中華民国が、3.11のときに一番多くの支援をしてくれたという事実。もっとどうして何度も言及しないのか。それに対し、中共の対応ときた日には、呆れるばかり素っ気ないものだったという事実も、もっと繰り返して報じないのか。

そもそも、何でもっともっとアメリカを頼りにしないのか。もっともっとアメリカを取り込まないのか。もっともっと世界にアピールしないのか。

だいたい、こうしたときのために、小澤訪中団が中共に行ったのではなかったのか。こうしたときのために、天皇陛下のスケシケュールの中に無理矢理、中共幹部・・・次にトップとなるはずの人物・・・との時間を割いて頂いたのではないのか。こうしたときのために、パイプを作っておいたのではないのか。
そうでないならば、あれは単なる大名旅行に過ぎない、いや、それ以下だ。それ未満だ。このことだけを捉えても、以下に志の低い、卑しい「政治屋」・・・政治家などと呼べる存在ではない・・・だか、分かろうと言うものだ。

繰り返す。中共からは手を引け。

以前から関係の深いタイだけではなく、ベトナム、それに民主化されたとされるミャンマーだってあるではないか。我が国も含め、仏教国てせあるという共通点がある。回教国のインドネシアやマレーシアだって、以前から深い関係があるではないか。もっと広く見渡せば、日本人の移民が多い、ブラジルなど南米もある。

もし中共に先を越されていたのだとしても、さらには韓国までにも先を越されていたとしても、日本と取引したいという国は多いはずだ。
現に、ミャンマーに進出して成功しつつある日本企業があり、他の、先を越されてしまった国からの、我が国に関する引き合いは多いそうだ。中共も韓国も、自分たちのことしか考えていない。しかし、日本は一緒に考えてくれるし、育ててくれる、ということで。

だから、我が国も困るが、もっともっと困るのは中共だ。
繰り返す。

今からでも遅くない。中共からは手を引け。
粛々と、手を引け。
中共が中共である限り、まともに付き合うなんてことは考えるな。手を引け。

絶対に手を引け。
付き合いができるとか、関係を修復しようなどという幻想は捨てよ。手を引け。

2012年10月 4日 (木)

中共からは手を引け 続き

(前稿から続く)

もともとあそこを中共と呼んでいたのだが、どうやらそれも風化されてきているらしい。ATOKというのは、私が愛用している日本語入力ソフトだし、これに変るものは現状見あたらないが、少なくとも私の使っているバージョンでは、中共というのが一発では変換されない。この記事を書くにあたって、そんなことも気付いてしまった。

さて、今にしてみれば、あそこを侵略したり、勝手に満州国なる傀儡国を作ったりした過去があり、その反動として贖罪意識が強くなりすぎ、それが行き過ぎとなったというのが背景になったのだろう。国交「正常」化という事態を目の当たりにして、最近までは人件費が安いというメリットもあり、どんどんあそこで生産する企業が増えていった。
いや、人件費の安さだけに目がくらんだというのが真実ではないか。

人件費がアッと言う間に高くなり、しかも、あんなリスクを追ってまで、あそこに拠点を置く必然性は、とっくになくなっている。
もう、今からでも遅くはない。引き上げるべきだ。全てのものを。全ての人を。全ての資金を。

贖罪意識というのは、ある意味持ち続けないといけないが、敗戦国の負うべき賠償金などについては、あんな処との交渉以前に、中華民国との間では、とっくに話が終っていることなのだ。蒋介石という、国民党を率いていた人物・・・色々と良い面につけてより、悪い面についての方が批判すべき人物だが・・・日本に対する一切の賠償請求を放棄すると宣言してくれたのである。
その上、基本的には新日であり、良い付き合いを続けてくることができた。それは、あそこと「正常」化する代わりに中華民国を言わば「斬捨て」にしたにも関わらず、現在まで続いている。もちろん、中華民国を台湾という地域名に落とした呼称とした後もだ。

もちろん、それでは収まらない人たちもいるだろう。台湾の漁船団が押し寄せた事案は、彼らの意見を代弁しているのかも知れない。しかし、あそこの指導を受けた、傀儡デモの可能性だってある。

台湾という地域名で呼ぶのはやめて、中華民国という正式の名前で呼ぶべきではないのか。そして、あそこは中共としか呼ぶべきではない。

笑い話に近い事実だが、もっとテレビのコメンテーターたちの誰かが指摘して良いことなのだが、本当に「反日」を貫くのであれば、あそこの国名自体、成り立たなくなるのである。どうする気か。確か、人民も、共和も、日本が明治維新のときに英語の翻訳語として造語した言葉なのである。
もっとも、あそこの図々しさは、日本がこれらの用語を盗んだ、と言いかねないが・・・。

表面では交渉を続けないといけないのかも知れない。邦人の安全が最優先だから。
しかし、ウラでは粛々と、全てのものやカネや人を、引き上げにかかるべきである。

そもそも、あんな国、国連の常任理事国である、という資格はない。
資格がないと言うより、常任理事国の座を簒奪(さんだつ)した、と言うのが正しい。

そもそも、国連の常任理事国というのは、第2次世界大戦の戦勝国が、戦後の地位をより高めるために作った制度である。だから、敗戦国=枢軸国 だった日本も、ドイツも、常任理事国になりたいと何度も試みたが、壁が大きすぎて果たせていないのである。

で、中華民国が戦勝国だったので、あそこの地域を代表する国として、中華民国が常任理事国になったのである。
だから、いくら支配地域が広大だからと言っても、中共には、常任理事国の資格など元々ないのだ。主としてアメリカの考えで中共との「正常」化を急いだついでに、あれを常任に入れ、中華民国をその座から追い出すということをやってしまった。だからあそこだけの責任ではないが、結果として、中共こそ、あの座を簒奪(さんだつ)したと言ってよい。中共こそ、盗人の最たるものである。

暴動の話の戻るが、マスコミも、「反日デモ」という言葉を多用していたのは、実にけしからん話だ。あれは明らかに暴動である。しかも、暴動の原因として日本政府のやり方がまずいとか、日本が悪いとか、そんな言説まで出てくるのだから、実に救いようがない。

暴動は暴動だ。デモとは違う。
これは、学校における犯罪を、「いじめ」などと言う用語で片付けてきてしまっていた体質と同じだ。

韓国とも問題を抱えていて、韓国でも反日デモが行われているが、あくまでもデモである。暴動にはなっていない。少なくともそう報じられている。韓国は韓国で怪しからんのだが、少なくとも国の成熟度という観点からは、中共などとは雲泥の差がある。民度が余りにも低い中共などとは比べるべくものではない。

(この稿さらに続く)

2012年10月 2日 (火)

中共からは手を引け

まあしかし、驚き呆れたと言うしかない。

もう、こんな国とまともにつきあうことはできない。
早く、このことに気付くべきだったのではないか。

デモに名を借りた暴動を許したばかりか、その責任を日本がかぶるべきだとか、果ては日本を盗人(ぬすっと)呼ばわりして国連の場で罵倒するとか、何なんだあれは。

忘れてしまった人が多い、または多くなった。または、そもそも知らなかった人も多いと思うが、国交「正常」化の前後まで、あそこは中共と呼んでいた。もちろん中華人民共和国の略なのだが、中華民国という国を正統と認め続けていたわが国では、主として保守ないしは右よりの人たちから、「アカ」という侮蔑的なニュアンスも込めて、中共と呼んでいたのである。

もう、あんな国を中国などと立派な名前で呼びたくはない。
もう、あんな国とは付き合うべきではない。
もう、あんな国を相手にすべきではない。
もう、あんな国からは手を引くべきだ。
もう、あんな国と、関係を修復しようなどと、幻想を振りまくのは止めるべきだ。
もう、あんな国であんな被害に遭った拠点の再建など、やめるべきだ。
もう、あんな国と何らかの交渉を持つべきだという、コメンテーターの発言は聞きたくない。

もうあの国との貿易は諦める時だ。
もうあの国に行って観光を、なんて無駄遣いは止めるべきだ。
もうあの国からは一切の拠点を引き上げるべきだ。

あの国がもう少しまともな国に生れ変るまで、一切の付き合いは止めるべきだ。
あの国がもう少しまともな国に生れかわるまで、一切の期待、幻想を抱くのは止めるべきだ。
あの国がもう少しまともな国に生れ変るまで、あの国を中国などという名前で呼ぶのは止めるべきだ。中国というのは美称である。
共産党の国ではとっくになくなり、共産党という名前を持つ党が単に一党独裁をつづけている、または続けようとしているだけの処である。だから中華人民共和国に対して「アカ」の意味を持たせた蔑称として中共と呼ぶのはふさわしくない。しかし、他に適切な呼び方がない。

だから、余り適切ではないが、中共と呼ぶしかない。
ちなみに、支那とかシナとか言うのも、どうやらこれは蔑称ではないというのが事実であるらしいので、使うべきではない。支那と書くと日本の「支」である「那」(くに)という意味が付け加わってしまう感じがするのでふさわしくないかも知れないが、いつかの機会に、シナという発音の呼び方を復活させるべきだ。
そのとき、あそこがまともな国になっていないのであれば、国名に関する呼称の相談は、中華民国とするべきである。

何度も繰り返す。あそこからは手を引くべきだ。
今からでも遅くはない。ふそこからは手を引くべきだ。
既に生産拠点としての意味はなくなっている。あそこからは手を引くべきだ。
進出してしまった企業の人たちよ。今からでも遅くない。むしろ、日本人の従業員を守るのであれば、あんなリスクの巨大なところからは、手を引くべきだ。

(この稿続く)

2011年7月 2日 (土)

石油を生成する藻 オーランチオキトリウム 続き

6月26日付けの記事で書いた、オーランチオキトリウムに関することで、当初は予定していなかったのだが、続きを書きたい。

6月30日付けの毎日新聞に、これの研究を進めている筑波大学の渡辺教授が「オピニオン」欄に寄稿していた。

それによると、炭化水素を生成する藻の種類は多いが、その殆どは植物性油脂を発生するものであり、そのまま軽油やガソリンなどに分けるには多くの技術的歌題やコストの問題がある由。それに対してオーランチオキトリウムは動物性油脂を生成するものであり、また効率も高い株を確保できたのが教授の研究室だとのこと。

アメリカで進んでいる研究で、どのような藻が使われているかは明かではないが、恐らく技術面でもコスト面でも、日本が最先端を行くものである、ということである。

教授は、従って国家戦略としての取り組みが必要と、記事で訴えているのだが、わざわざこんな寄稿をしている処を見ると、余り進んでいないのだろう。いや、殆ど進んでいないように見せかけているのは深謀遠慮があって戦略的にそうしているので・・・と思いたくもあるが、戦略があるように好意的に思いたかったことが、実は本当に何もやっていなかったというのが今の政権なので、希望的な観測を持つことは止めておく。

それにしても、スパイとまでは言わないにしても、感度の良い外交官であれば、こうした記事、即座に本国に打電するはずだ。「そんなに進んでいないなら、金銭面で援助して研究を加速して、恩を売っておこう」と考えるか、「日本がその程度であれば、まだまだ我が国の研究の方が早い。だからどんどん進めて行こう」と思うか、国の事情や体質・体制によっても異なるだろうが、困ったことにならないと良いのだが。

そもそも、オーランチオキトリウムなどという藻について、一般には殆ど知られていないだろう。私は、たまたま「たかじんのそこまで言って委員会」を見ているので知ることとなったのだ。もっと多くの人に知られて良いのではないだろうか。

そして、研究予算についても同様のことが言える。

自然エネルギーについても然りだが、これまで原発一辺倒で予算もそればかりにつぎ込んできたのを改め、多くの予算と人員をつぎ込んで技術開発に取り組めば、もっともっと優れた成果が出てくるのではないか。
この記事を読んでますますその気持が強くなった。

今後とも、随時、自然エネルギーについても、石油そのものを生成する、この藻についても触れて行きたい。

2011年6月26日 (日)

石油を生成する藻 オーランチオキトリウム

「たかじんの そこまで言って委員会」という番組を愛聴している。
関西テレビで毎週日曜午後1時半から放送されているもので、政治を中心としたトークショーといった内容。
東京方面には流れていない由で、出席者がそれぞれ遠慮のない発言をする。1週間、中途半端な、時には官製の情報をただ流すといった趣きのニュースやニュースショーばかり見聞きしてウンザリした処に、「実は、このようになっている」などの話が聞け、「よく言った」「へえ、そうだったのか」など、実にスカッとした思いにさせてくれる。

この番組の未公開場面などと、新たに撮った映像を交えて、1ヵ月に1度、土曜に「増刊」版が放送される。こちらは余り見ていないのだが偶々本日2011年6月25日に放送されていたのを見たら、驚くべき内容が紹介されていた。

タイトルにある藻の名前は、パネラーの1人である勝谷氏が何度も何度も繰り返し番組内で紹介し、他のパネラーからも、やしき委員長からも、辛坊副委員長からも「しつこい」とうるさがられていたものである。あるときには勝谷氏自らがキッチリと時間を取って説明するという回もあった。

ところが、そのときに聞き逃していたのだが、最近、NHKの何の番組だったか忘れたが、アメリカで「石油を生成する藻」の研究が既にかなり進んでいて、ジェット機を飛ばす実験にも成功したということが紹介されていた。これを見て私もようやく信じるに足る情報だと思ったのだ。
ところが、本日、その勝谷氏の発言内容が改めて紹介されたのを見ると、既にアメリカで云々とかジェット機を飛ばす実験云々の話は勝谷氏が発言していたではないか。

ここからが本日の「増刊」独自の内容になるが、この研究を日本で進めている筑波大学の研究室に行って、担当教授に取材したら・・・というもの。

まず、研究室が既に厳重なシークレットエリアになっていることに驚く。教授によると、政府筋の指導だとのこと。
そして、この研究を進めている国として他にアメリカがあり、タイでもやっていて、そして何とサウジアラビアからの引き合いもあったそうだ。サウジアラビアの現国王は、今のように石油で稼ぎ続けることは、いずれできなくなる、石油の埋蔵量は無限ではない、と考えている由で、こうした研究に注目しているのだそうだ。

サウジアラビアの担当官が、教授に「いくら払ったら研究を前に進めることができるのか。100億円ほどか」と聞いてきたので、「とてもそんな金額では、何もできない」と、教授は断った由。

ここまで紹介されると、いよいよ信じざるを得ない。

元々番組内で紹介していた勝谷氏が、時々国粋主義的な、エクセントリックな発言をするものだから(また、それを彼自身、自分の立ち位置として、または「売り」としている風な処が感じられるので)、私も話半分に聞いていたのが正直な処である。

原発依存から、自然エネルギーへ、という論議があちこちで起こっているが、それらは殆ど「原発に代わって、どのような手段で電気を確保するか」を論議しているわけだ。
それに対し、「石油を生成する藻」の話は、石油に代替するものとして、どういうものがあり得るか」がテーマである。この藻から生成される石油は、地下から採掘される石油と、ほぼ同じような使い勝手の良さがあり、燃料としての用途だけでなく、プラスチックの原料にもできるらしい。
日本国内に既にある広大な休耕田を活かすだけでも、国内の石油の輸入量の殆どをまかなうことができるとのことだ。

太陽光を始めとする自然エネルギーが余り普及してこなかったのは、原発中心で行くと決めた過去の政策の歪みによるものと考えている。普及のネックになったのが電力の1社独占供給体制によるということなどが論議されるようになった。しかし、忘れてはならないのが、技術的な側面だと思う。
技術面でも、研究費に予算をもっとかけていれば、現在よりももっともっと発電効率の良い太陽電池が発明されていたかも知れない。

今からでも遅くないから、自然エネルギーに対して、研究費も合せて、予算をかけてゆくべではないだろうか。

そして、発電方法の「脱・原発」と併せて、この「藻」のように、石油代替品そのものについても、予算をもっとかけて、研究から実用化に向けてスピードを上げて取り組むべきだろう。
幸い、冒頭に紹介した通り「政府筋の指導」があったそうだからある程度は認識されているのだろうが、アメリカが既にジェット機を飛ばしたとか、サウジアラビアが買いに来ているということが既に怖い。

2016年4月
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