カテゴリー「文化・芸術」の記事

2013年4月30日 (火)

ユーザー無視の規格 HDMI (1) 誰のための規格?

何でこんな規格ができたのか。

当初・・・というか、かなり最近まで、私は何の疑問も持っていなかった。ハイゴジョン規格の映像をそのまま通し、音声もそのまま伝えるということで、HDMIって優れた規格だと思っていた。1台の液晶テレビに接続すべくBDレコーダを新規購入したときも、ケープル1本で接続できて便利だし、確かに映像はキレイだったので、何の疑問もなかった。

ところが、別のテレビはオーディオからも音が出せるように組んでいるのだが、そこに、別に買ったBDレコーダを接続しようとして、ハタと困ってしまった。
D端子が、なくなってしまっているではないか。
こちらのシステムでは、映像をD端子で接続し、音声をRCA端子で接続するようにしている。DVDレコーダを、そのようにして接続していた。

それを、BDレコーダに置き換えようとしたのに、これではどうにもならない。せめてS端子・・・と思ったが、それもなくなっている。

ネットで色々と調べてみると、著作権の問題などが色々うるさくて、こんなふうになったらしい。

しかし、だ。確かに音声と映像が1本のケーブルで接続できると言うのは便利だ。
だが、HDMIで接続すると、音声をRCA端子などの別系統で取ることもできなくなってしまう。著作権も大事だが、こんな規格、よく成立させたなあ。

音声と映像を分けたいというニーズ、結構あるのではないか。AVシステムの中に組み込んで、音声は音声でそれなりの装置で出したい・・・つまりAVシステムのユーザーと言っていいと思うが・・・そんな人、多いのではないか。少なくとも、殆どのテレビの貧弱な音声に我慢ならない人は多いはずだ。そうであれば、行き着く先は結局AVシステムということになる。ボディが薄くなったがために、音質を犠牲にしてしまった面もあるだろう。価格競争の果てに、守るべきスペックが分からなくなった各メーカーのなれの果てか。
とりあえず、「見る」ことが主眼で音声はさほど気にしない、という人にとっては、どうでもいいのだろうけど。
けど、これって、かなりの数のAVユーザーを見捨てていることに他ならないではないか。

で、AVユーザーを見捨てて、これの市場が成り立つとは思えないのである。
HDMI接続したときも、音声は音声で別に取り出せるような規格であるべきだったのだ。まあそれではD規格と実質上同じになるほけだが。

いったい、誰のための規格なのか。

2台めのBDレコーダを買ったとき、1台目よりも録画容量が大きかったので、これをメインシステムにして・・・など、それなりに楽しみにしていたのだ。でも、テレビ側にHDMI端子がなく、D端子とS端子。レコーダ側にはHDMIしかなく、D端子もS端子もない。これでは接続できない。せめて、HDMI接続したときでも、音声は別に並行して取り出せるような規格にしておくべきだったのだ。こんな、ユーザー無視の規格は、実に腹立たしいことだ。

(この稿続く)

2013年4月28日 (日)

絶滅したLDをDVD化する(7)

さて、本稿を連載形式で書いてきて、途中若干の脱線もしたりしたが、遂に7回目となった。パイオニアがLDプレーヤーを作り続けてこなかった責任は重大だと思うが、今さら言っても詮ないこと。私は幸か不幸か50枚程度のコレクションだったので、DVDで買い直したり自分でDVDレコーダでダビングしたりして何とか乗り越えるに至った。
2週ほど間が開いたのは、所用で外出することが多かったのと、もう1点は、ダビングして作成したDVD化の、ラベルプリントに掛かっていたためだ。

結局、丁度16枚となった。
これらを除くLDは、DVDで買い直したことになる。
ダビングもせずにまっすぐ処分・・・というソフトはなかった。

そりゃそうですよ。いくらバブル前の好景気のときで、私もまだ現役だった頃とは言え、1点1万円以上のものや、1万円に近い価格だった。そう易々と買えるものじゃない。十分に吟味しながら買い集めたわけで、たとえ今では興味をなくしているものであっても、ただ単に「さよなら」するには忍びなかったのだ。

DVD化したあとしばらく放置していたが、LDの面影をできるだけ残しておきたかったので、LDのジャケットをデジタル一眼で撮り、DVDのケースにはめ込むことにした。
私が使っているレーベルダイレクトプリント用のソフトで、ジャケットのプリントも可能で、その機能を使った。上掲の機種は、私が使っている機種の何代かあとの後継機。
デジタル一眼を持つなら、この辺りのクラスから始めるのがいいだろう。そして、よほど凝った写真を撮るのでない限り、これで十分かも知れない。

ちなみに、WindowsVistaから(Windows8を経由して)Windows7にした段階で、従来使っていたソフトのサポート期間が気になったこともあり、下記のソフトにアップグレードしていた。

これまで使っていたソフトで作成したデータは、そのまま開くことができた。インタフェースもかなり似ている。かなり操作画面が小さくなり、老眼が来始めた身には辛いのが難点。尚、この上級バージョンもある。

さて、実際にジャケットを作成してみると、中々思うとおりにはジャストサイズとならない。まあこれは、厳密にサイズ合わせをする必要もないので、適当なサイズでよしとした。

そして、ここで使ったジャケット用の写真をラベルプリント用にも使い、背景画像には、このソフトに用意されている単色カラーを使用した。
16枚と上に書いたが、点数としては9点。
結構な数、DVDで買い直したことになる。既に買ってあったものもあるが、今回の作業にからめて新たに入手したものも多い。
新品もあれば、中古もある。新品と中古がショップしてい並立していて、何れからでも買えるのも、こうしたサイトの良さだ。

例えば、今回の作業にからめて入手した映画ソフト2点は、何れも中古だ。

「コーラスライン」は、名作かどうか判定し難いし2回か3回見ただけだが、「ストリート・オブ・ファイアー」は名作だと思う。古い感じのラブストーリーであり、古いタイプのロック音楽映画だ。
冒頭に出てくる、ダイアナ・レイン演ずるロック歌手の声か、人工音だとして話題になったりもした。

コーラスラインは、オーディション場面だけで殆ど全編が構成されているのが珍しく、最後に歌われる「ワン」はその後色々なCMにも使われた。しかし、印象に残るのがこの曲だけで、しかも最後の最後にしか出てこないのだ。だから見たあとで「満足」とは中々行かず、見かえす回数も少なくなる。
それでも、単に手放す気にはなれず、ダビングする気にもなれず、中古で購入した。今アマゾンには、新品の安価版もあるようだ。

ここで挙げた以外の音楽映画は、「ミニ音楽評」で採りあげることにする。

2013年4月13日 (土)

絶滅したLDをDVD化する(5)

(前稿からの続き)

元々以前から持っていたLDプレーヤーの動作がアヤシクなり、既にLDプレーヤーというものが絶滅していることから、DVD化を急ぐこととしたのだった。
その前に、以前から持っていたLDプレーヤーがいつ死んでもおかしくないので、予備機をオークションで確保。処がそのオークション機がすぐに壊れたものだから、慌てて中古ショップから次の1台を入手。
そして、既にDVDとしても所有したいたソフトに加え、中古でも新品でもいいから入手できそうなものは入手することにして、LDプレーヤーの稼働時間を短縮すると共に、HDDにダビングしたあとの編集時間を節約することとした。

これも、初めの方では価格を気にしながらオッカナビックリ少しずつ買い進めていたのだが、次第に考えるのが面倒になつたのと、同じ内容のものであってもLDよりはDVDの方がかなり画質がマシであることが分かったことによって、糸目を付けず・・・とは行かないらせよ、何枚も買うこととなった。

この中で音楽関係は主として「ミニ音楽評」で取りあげて紹介して行く予定だが、そうでないものもあるので、音楽を除いたソフトは、ここで紹介して行くこととする。

まずは、「手塚治虫実験アニメーション作品集」

これ、見たことのない人は必見だ。
手塚治虫のファンならご存知の向きも多いだろうが、手塚治虫のアニメというと「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」などをパッと思いつくが、彼が本当にやりたかったことは、もっと芸術的な、または前衛的なものであって、それはこの「実験アニメ集」に収録されている作品に他ならない。

もちろん、芸術的だとか前衛的だとか言っても、そこは手塚治虫作品である。親しみやすく、ユーモアのセンスに満ちたものばかりだ。

このあとの記事であと何枚か紹介するが、掲題のタイトルの記事は一旦終わることにする。

尚、使い終わって用済みとなったLDプレーヤーだが、故障した1台はリサイクル回収業者に、残る2台は、「取らないというわけではない」とのことだったので、ハードオフに。

持って行くと、確かに「取らないわけではない」という値付けだった。
1台200円ですよ。200円。
一緒に持っていった、片側が動かないカセットデッキも200円。
LD2台とカセットデッキ1台の、計3台で600円。

これ、考えちゃうよね。幸か不幸か私の場合は600円という少しはまとまった(?)額になったからマシだが、1台だと200円って、これではガソリン代がギリギリということになりはしないか。もう少し高めの査定をしてくれる処もあるかも知れないが、近くでなければ当然運送費もかかる。それでも割りに合うかどうか。

絶滅したLDと、片側が壊れたが片側は動くというカセットデッキが同価格というのも驚きだ。片側だけしか動かないカセットデッキなんて、ジャンクとしてしかハードオフでは売れないはずだ。それと、絶滅はしているが一応完動品であるLDプレーヤーが同価格とはねえ。

ともあれ、もうそんな価格でしか売れないということ。オークションにかければもっとマシな額になるかも知れないのは確かだ。私は面倒だしLDプレーヤーに飛びついて、結果は失敗したという経験を直前にしたので、自分から出品する気にはなれず、手のかからない方法を選び、こうした結果となった。

次はLDのソフトの処分だが、これがまた難物だ。どうにも納得し難い価格でしか売れない。まあ、中古のLDを販売しているショップの価格をずいっとあたってみると、アホらしいような価格だ。当然、こちらから売るときも、アホらしいような価格でしか売れないということになる。

まだ、LDをDVD化したものは、レーベルもジャケットも作っていないので、それが出来るまでの間、もう少し調べてみることにしている。
ちなみに、私の愛用しているブックオフでの、ユーザーからの買い取り価格は1枚5円。5円ですよ。5円。幾ら何でもこんな価格では売りたくないわけで・・・。まあ、どれだけマシな査定をしてくれる店が見つかるかだ。

2013年4月 9日 (火)

絶滅したLDをDVD化する (1)

カセットデッキが、オーディオのコンポーネントとしては既に「絶滅危惧種」となっているのが分かり、ちょうどCDレコーダの価格がこなれてきていたこともあり、また私の手持ちのカセットデッキがダブルなのに片方が死んでしまった・・・といったことが重なり、慌てて一気にCD化したのだが、本当は、もっと急ぐべきことがあった。

レーザーディスク(以下、「LD」と略記)を何とかせんといかんのだ。ご存知の方が多いと思うが、LDプレーヤーは、既に「絶滅危惧種」どころか、正真正銘の「絶滅種」なのである。プレーヤーを生産するメーカーは、とっくになくなっている。パイオニアが限定期間だけ再生産したりしたが、もう一度それをやるような気配はない。
プレーヤーが絶滅するとともに、LDも事実上絶滅したと言っていい。当然ながら新品のLDは出回っておらず中古だけだが、そもそもその中古のLDの市場自体が、事実上なくなっているのである。

ハードオフで取らなくなったし、取っても1枚5円たとか言う話も聞こえてくるし、ウェブで色々な中古販売店をあたっても、既にLDの扱いを止めた旨が記載されていたりする。

LDプレーヤーの中古は、存在しないわけではないが、整備に信頼がおける店のものは結構高かったりする。
故障は経年劣化によるベルトの緩みや外れが多いようだ。修理ができる処があれば簡単な修理の部類だが、修理のできる処が殆どない。

そんな状況の中、たまたまカセットのCD化を先行することとなったのだが、この勢いに乗ってLDのCD化を進めることにした。

そもそもLDという媒体、高価なものだった。高価だということと、音質面でCDより音がいいとは思えなかったこともあり、余り集めはしなかった。
そなん私でも、50枚程のコレクションがあった。
既にDVDで買い直しているものもあり、実際にLDからDVD化する作業には、さほど急ぐ必要もないと考え、まずはテストを兼ねて・・・と取り掛かってみると、ノンビリやっているだけの余裕はない、という現実を知ることとなった。

私の手持ちのLDプレーヤー。動きがどうもアヤシイのだ。
いつ故障しても不思議ではなく、故障したらあとは高価な中古品・・・。そんなカネを出す気にはなれない。どこかで安価なプレーヤーが出回っていないかどうかを探してみることにした。

(この稿続く)

2010年12月14日 (火)

カーテンコールの意味

DVDレコーダのHDDに録画が溜ってしまい、DVDに焼く作業をしていて思いの外時間がかかったため、書評を纏めることができなかった。このため、録画を整理しながら改めて思ったことを雑感として。

整理にとくに時間を要したのは、NHK芸術劇場で放送された、「トリスタンとイゾルデ びわ湖公演」と「吉田都 引退公演 英国ロイヤルバレエ ロミオとジュリエットである。どちらもとっておくこととしたので。

前者はワーグナーの楽劇の常として、ひと幕の間は音楽の切れ目がない。このため、幕の間にチャプタを切るのはハナから諦めているのだが、それでも「前奏曲」と「愛の死」の部分だけはチャプタを切りたいと思った。それと、基本的なこととして、全曲通して録画されているので、幕と幕の間を分ける必要がある。まだ見ていなかったので、通して見ることとなった。これが、曲も内容も疲れるものだった。ひどく疲れた。

後者も同様に幕の間を分けることから始めたのだが、折角なので曲の間にできるだけチャプタを切ろうと思い、参考書と最近入手したプレヴィンの全曲盤のライナーノートとを見比べながらやっていった。つなげて演奏される部分など一部を除いてだいたい切れたと思うが、どうもよく分からない処もあり、それは切るのを諦めた。

こういうときスコ(総譜)があれば役に立つのだが、この曲の安価に入手できるのは組曲版しかないはずで、当然全曲版とは曲の一部が異なるので参考にはならない。

で、この2つの作品を見て改めて思ったのは、「カーテンコール」の意味である。

言うまでもなく、「劇中、こんな人たちが出てましたよ。改めて拍手を贈って下さいね」という意味を持っているのだろうが、それだけではなく、もう1つ深い意味があるのではないだろうか。以前から思っていたのだが、これら2つの作品が何れも主演が死んで終るものであるため、改めて思ったのである。
「トリスタン」は男が死に、「ロメオ」は男も女も死んでしまう。主演以外にも多くの人が死んでいる。

突然想像を交えてギリシャ悲劇のこととなるが、あの時代、劇の中で死ぬというとき、本当に殺してしまったことがあるのではないだろうか。とにかく、ローマ時代になってからではあるが、奴隷である「剣闘士」どうし、即ち、人間同士を戦わせて殺し合いをさせたり、ライオンと人間を戦わせたりして楽しんだということが分かっている。
劇という形であっても、出演者によっては本当に殺してしまって「死」の場面としたことがあるのではないだろうか。

また、こう考えてもよい。
テレビドラマなどで「殺人事件」が毎日のように放送され、ある意味で慣れっこになってしまっている現代社会とは異なり、芝居の中で起こる殺人であっても、観客にとって衝撃的であった時代が最近まで続いていたはずである。
現に、幼い頃、白黒テレビで刑事モノのドラマなどが放送されていたとき、やたら恐ろしかったことを覚えている。ドラマのアタマでパトカーのサイレンの音が鳴るだけで怖かったし、それは私が幼かったためというより、周りの大人たちも怖がっていた。

だとすると、カーテンコールには、もう1つの意味が加わってくることになる。
あれは単なる芝居であって、芝居だったという証拠に、こうしてみんな生きてますよ」ということを明らかにするという意味があるのではないか。いや、むしろその意味で行われたカーテンコールの方が歴史があるのであって、その習慣が受け継がれて現代の様式につながっているのではないだろうか。

似たことがあって、それは、劇の終りに近づくと、以前出て来た人たちが入れ替わり立ち替わりして再び出てくることがある。というより、そうした構成を採っているものが結構見受けられる。最近のものだけをとっても、「朝ドラ」などには、そうした構成だったものが殆どである。

これも、「あのとき死んだけど、あくまでも芝居の上でのことで、ちゃんと生きてますよ」ということを示す意味があるではないだろうか。とくにテレビドラマのように、「カーテンコール」が存在しない場合、そうした場面そのものが「カーテンコール」の代わりになるのだから。

これは、ワーグナーの「指環」や、ゲームの「ドラクエ」などにも共通するものである。ネタばらしになる可能性もあるので、別途機会があれば、慎重に書いてみたい。

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