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2014年7月

2014年7月 2日 (水)

なぜ歳をとると時間が速く過ぎるのか

それなりに歳を重ねてきた身として、ある時から疑問に思ってきたこととして、時間の過ぎ方が年々速くなってきているという点である。

とにかく、時間の過ぎるのが速い。

このブログなども、「これこれを書いたら呑もう」と初めに想定しているのに、滅多に実現できなくなってきた。週末だけ呑むようにしているのだが、それを目指して色々と計画しても、殆ど実現できなくなってきた。
そうして1週過ぎ、2週過ぎしているうちに、どんどん当初計画から遅れていき、達成感のないまま週末に呑むというケースが多くなってきた。

最初、これは現役から退いたため、「〆切り」がなくなったため・・・つまり時間を切って約束する相手が殆どいなくなったため・・・かと思った。
自分なりに〆切りを設定しても、つい自分に甘くなってしまうためだということでもある。

しかし、どうもそれだけでは説明しきれないとも思うようになった。

で、次に考えたのは、「今まで生きてきた総時間」をAとして、「今日の現在、まさに過ぎつつある時間」をBとしたとき、B/Aの値がどんどん小さくなってくるから、どんどん時間が速くなってくる感じがする、いうこと。即ち、「今まで生きてきた総時間」分の「現在」という値がどんどん小さくなつてくるため、ということだ。

幼い頃、1日がどれほど長く感じられたことだろうか。
こう考える人は他にも結構いるようで、具体的には思い出せないが、テレビでも本でも、そうした見方をする人を結構見かけるはずだ。

しかし、つい最近、もっと合理的かつ整合的な見方を考えついた。

1週間とか1ヵ月とか、また1日とか、そうした時間であれば、今まで生きてきた総時間を分母とした現在の時間ということで、かなり説明がつくだろう。
しかし、現実には1分なり10分なりという時間も短く感じるようになってきたのである。

10分という時間でも、1分という時間でも、時計を見ないで大体の時間を見繕い、言い当てることのできた時期があった。
それが、現在ではどうか。1分なり10分なり、「ここ」と思って時計を確認すると、殆どの場合、時計の方は先に進んでしまっている。自分の感じている時間・・・これを、正確ではないかも知れないが「体内時計」とし、時計に代表される時間を「物理的時計」とするならば、明らかに、物理的時計に対して、体内時計が遅くなってきているのである。

こう考えると、よく文学作品などで、年寄りの生活を指して、「ゆっくりと時間が過ぎていく」などと表現されるのも、物理的時間に比べて、年寄りの時間というものが遅く見えるためだと理解できる。そして、これは年寄り側からすると、「周りの時間がどんどん過ぎていく」ことでもある。

早く言うと、歳をとるほどに体内時計が遅くなり、それは動作が遅くなるということでもあり、外界は同じペースで動いていても、相対的に速く感じるということなのではないか。

そうすると、音楽の演奏でも、自分が感じるままにテンポを設定してDTMを入力すると、恐ろしく遅いテンポだ・・・ということをよく感じるようになったというのも説明がつく。

だから、「題なし音蔵館」で、当初収録していた曲のテンポ設定を、ちゃんとCDなどを参考にして修正するハメとなった。
CDと言えば、以前は最適なテンポとして愛聴していた演奏の、かにりのものが、自分にとっては既に「速すぎてせわしない音楽」に聞こえてしまうことね増えた。これも同じ理由で説明がつくのではないか。

こうしたことを考えるのは寂しいことでもあるが、現実として受け止めることも大切てではないかと思う。

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