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2011年5月 6日 (金)

阪急電車 (6)

(前稿からの続き)

戦前から戦中にかけて、軍の意向や要請により、軍の関係する工場への従業員や貨物の輸送の便を図るため、軍用の新線建設や、既成の路線の合併や統合が進められた。

東京では、東京横浜電鉄が核となって小田急電鉄、京王電気軌道、京浜電気鉄道を合併し東京急行電鉄となった。現在の東急に対し、この当時の名称を「大東急」と呼ぶ。また、2つの経営母体に分かれていた地下鉄が「帝都高速度交通営団」(営団地下鉄)として纏まった。

関西方面では、大阪と奈良を結ぶ路線を中心に発展していた大阪電気軌道(大軌)が中心に関係会社としての路線を合併し「関西急行電鉄」(関急)となり、さらに現在の南海電鉄をも吸収し、「近畿日本鉄道」となったのが代表例で、その他、現在の阪急電鉄が、京阪電鉄を合併して「阪神急行電鉄」から「京阪神急行電鉄」となったり、南海電鉄が「山手線」として建設していた天王寺~和歌山の路線が国有化され現在の阪和線になったりもした。
ちなみに、阪急電鉄は、戦後解体する際、京阪電鉄が淀川右岸に「新京阪電鉄」という子会社に建設させてた「新京阪線」を取得。現在の京都線としている。大阪、神戸、宝塚エリアの路線網から京都エリアに拡大したわけで、戦後も長い間、「京阪神急行電鉄」が正式名称であった。

こんな情勢なので、当然、阪神と阪急に対しても、経営統合の要請があったのだか、結局不調に終り戦後に至るのである。軍の力をもってしても、統合がならなかったというのがスゴイ。

その代わりと言ってよいのかどうか、今津駅には、阪急と阪神を結ぶ線路が設置された。
しかし、戦後すぐにこの連絡線は切断されてしまった。

ちなみに、この西宮近辺では、武庫郡鳴尾村にあった川西航空機(現在の新明和工業)への輸送のため、阪神の武庫川駅から客貨両用の路線を建設。さらに国鉄と結ぶために(軌間が異なるため)阪神武庫川駅から武庫川岸を北上し甲子園口を経て西宮駅まで、三線化もされた。
この、阪神武庫川から南下して建設された路線が、現在の阪神武庫川線である。

阪急今津線の仁川近くにも川西航空機の宝塚製作所があり、先に述べた阪神今津での接続線も、それと関係したものであろう。

(この稿さらに続く)

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