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2011年5月 2日 (月)

阪急電車 (4)

(前稿からの続き)

1984年に、神戸線の輸送力増強のため西宮北口を境に南北に分割されてしまった阪急今津線。
小説がヒットし映画化もされた「阪急電車」は、西宮北口よりも北(宝塚方)の路線を舞台にしているので、路線名にある「今津」が出てこないのに、ここが「今津線」だと言っていて、おかしなことになっている。
まあ、映画はまだ見ていないので、映画では修正されているのかも知れないが。

阪急電車の今津駅近くに住んでいた私としては、よく使ったし思い入れもある路線である。今津から宝塚方面に直結していることこそ、今津線の付加価値だと信じてやまなかった。それもあって、南北分断は、西宮北口駅の工事が終ったら、そのうち解消するものと思っていた。

それは、必ずしも私が勝手に思い込んでいたと言うことだけではない。阪急もそのつもりだったのではないかと想像させる1つの証拠として、本稿執筆時点の2011年4月に至るまで、西宮北口駅から北の部分を「今津北線」、南側を「今津南線」と称し、「北」とか「南」の文字こそ入ってはいるが、「今津線」という呼称を残していることである。

1984年と言うと、本稿執筆時点で27年前のことになる。そのときなりの事情があって今津線の南北分断が実施されたことを知らない人も増えてきているはずだ。
「今津線」に乗る人の中に、「何で今津に行かないのに「今津線」と称しているのか」と疑問に思う人も増えているだろう。
「今津南線」に乗る人は、今津が終点になっているからさほど疑問に思わないかも知れないが、路線図をよくよく見ると「何で西宮北口から宝塚に向かう線が、今津北線で、こちらは今津南線と書いてあるのか?」と思う人もいるのではないか。鉄道ファンしか関心がないことかも知れないが、周りの鉄道ファンでも、若い世代の人であれば、必ずしも四半世紀以上昔!のことを知っているわけではない。

何で、南北に分断した後も、北とか南とか言う文字を加えてまで、「今津線」を名乗らせているのか。
実情に合せるのであれば、「今津線」の名称は、西宮北口から今津に至る路線にだけ継承させていれば良く、西宮北口から宝塚に至る無線は「西宝線」とでも改称すべきものである。
この「西宝線」という名称は、この線の建設当初、宝塚から西宮北口まで開通し、今津には達していなかった時点で使われた路線名だ。

東京で、元の路線名に戻った例として、東急の大井町線という路線がある。
戦後、多摩田園都市の開発に伴って路線名を「田園都市線」と変えた。
処が、二子玉川から都心に向かう線として、路面電車であった「玉川線」の代替手段として建設されることになった路線が、営団地下鉄(現在の東京メトロ)の半蔵門線との直通をも視野に入れた地下高速線として建設されることとなり、渋谷まで開通した時点では「新玉川線」と称した。しかし、やがて多摩田園都市沿線から渋谷まで「新玉川線」を経由する列車でメインとなり、渋谷に直通する路線に「田園都市線」の名称を譲り、二子玉川から大井町に行く線は、元の「大井町線」に戻った。

こんな例もあるので、実情に合せるならば「今津北線」は、建設当初の「西宝線」に戻し、「今津南線」だけを「今津線」と称するようにすべきだと思っていて、なのに何時までもそれぞれを「今津北線」「今津南線」としているのは、何れ、南北を再度直結するつもりなのだろうと思っていたわけである。

そして、現に、そう考えていたフシがあるのだ。

(この稿さらに続く)

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