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2011年4月

2011年4月30日 (土)

阪急電車 (3)

(前稿からの続き)

1984年、それまで存在していた西宮北口の「今津線」と「神戸線」の平面交差が、神戸線の輸送力増強のあおりを受けて、今津線が南北に分断されてしまったのだが、その内、工事が終った段階にでも、再度南北が繋がり、「今津発宝塚行き」という直通列車が通るものと期待していた。

当時は既に住んでいなかったが、会社勤めを始める前、私は今津線の今津駅近辺に永年住んでいて、思い入れのある路線だったためである。

「今津線の今津」と書いた。
「阪神電車の今津」と同じなのだが、敢えて「今津線の今津」と書いたのは、阪神間に住む、特に阪急沿線に住む人なら分かる人が現在でも多いと思うが、沿線のヒエラルキー感というものがあるためである。

阪神間には、北から、阪急神戸線、国鉄(現在のJR)、阪神国道線(1975年5月5日、全線廃止。このときの情景は「題名のない鉄道館」の「鉄道と情景の記録」に「阪神国道電車最後の日」として掲載)、そして阪神電車が並行して走っている。
そして、どの沿線に住んでいるか、ということがヒエラルキー感として存在し、高いと見なされる順に、阪急沿線、国道沿線、阪神沿線の順となっていた。
阪急神戸沿線は、高級住宅街、阪神沿線は工業・商業地帯。国鉄はその中間。
東京で言う「山の手」と「下町」の対比に近いと言えば、何となく理解頂けるだろうか。

もちろん、こんな雰囲気というか感覚は、主として阪急沿線の住民によるもののはずだ。差別と言ってもいいだろうが、それではキツイので、ここでは「ヒエラルキー感」と称した。当時は、そんなことには無頓着で住んでいる沿線の自慢をし合っていたものだ。まあ、タワイナイものである。

そこで「今津」というのが微妙な存在で、運転本数も輸送力も明らかに阪神電車の方が多いのだが、阪急今津線の沿線でもあるから、阪神電車より北側に住んでいた身としては、「阪急沿線」と言いたいわけだ。

思い入れが深い理由は、そんなヒエラルキー感によるものだけではない。現実によく使っていた路線でもあった。
日常的に、より頻度高く世話になっていたのは阪神電車なのだが、休日に神戸方面に行ったりするときは、敢えて阪急の今津線で西宮北口まで行き、神戸線に乗り換えて行ったものである。これは、阪急の方がスピードが速かったのと、沿線風景が楽しみだったこと、そして神戸線の乗客にはエエトコノ女学生がよく乗っていたたけでもある。
また、大学時代、京都に通ったが、同様に西宮北口まで出て、神戸線の梅田(大阪)行きに乗り換え、というルートを辿った。

そして、宝塚に行くとき、今津からの電車にそのまま乗って行けば良かった。宝塚歌劇というものには当時も現在も全く興味がないが、宝塚駅周辺の雰囲気が好きだったし、「宝塚ファミリーランド」というものがあり、家族連れで、またはデートなどで楽しんだものである。
西宮北口から2つ北の「甲東園」には永く家庭教師に行っていたし、「甲東園」と西宮北口の間の「門戸厄神」は、神戸女学院があり、男子校に通っていた者としては、憧れの地でもあった。

だから、今津線は、西宮北口を越えてそのまま北に向かって利用したことも多かったし、西宮北口から東の大阪方面、西の神戸方面ともによく利用したものである。
今津駅で今津線に乗るとき、「宝塚行き」と表示されていることが、どれほど夢をかき立ててくれたか、測り知れない。

それが南北に分断されてしまったわけだが、駅の改良工事が終れば、やがて南北の直通が復活するのではないか、いや、復活させてくれるのではないか、と漠然と期待もしていた。

それは、決して一方的な思い込みで期待していたわけではない。
阪急が、期待させるように仕向けていたと言って良い。いや、現在でもそれは続いている。

(この稿さらに続く)

2011年4月28日 (木)

阪急電車 (2)

(前稿からの続き)

映画「阪急電車」の舞台となっているのは、阪急の今津線である。
この本のストーリーはメチャメチャ面白いし、心温まる物語であり、従って文句を言う筋合いはないし、映画も面白いものになったのかと思うが、どうも「今津線」をもって阪急電車の代名詞とするのは、沿線に住んでいた私としては抵抗がある、と言ったことを書いてきた。

シックリこないことをもう1点挙げると、この本を紹介した2010年9月22日付の記事にも書いた通り、舞台となっている線は「今津線」と称しながら、現実は「今津」に達していないからである。

その記事にも書いた通り、西宮北口駅では、昔、今津線と神戸線が複線同士がほぼ直角に平面交差していた。運転上のネックにはなっていたが、鉄道ファンにとっては、光景と言い、クロスで鳴る音と言い、たまらない魅力のある「名所」だった。
今津線は、宝塚から下りてきて西宮北口に到達したあと、平面交差によって神戸線を乗り越え、今津に達した。だから「今津線」と称するのである。

東京の東武鉄道の「東上線」のように、「東京」と「上州」を結ぶべく計画され、「上州」には到達しなかったのにそのまま「東上線」と称しているように、計画時に目標としていた地点に、結果としては到達しなかったのに、目標地点の名前をそのまま使っている例は色々あるが、それとは事情が違う。
今津に到達したので「今津線」となったのであって、宝塚と西宮北口間だけのときは、「西宝線」と称した。

宝塚から下りてきた線を今津まで延伸したのは、阪神電車の今津駅と隣接させた駅を設置し、阪神圏の乗客を阪急沿線に取り込もうとしたためである。
しかし、西宮北口から延伸するにあたり、当時の土木技術の水準が至らなかったためか、まだまだ電車の運行本数が少なかったのでさほど支障はないと判断したのか、立体交差でなく平面交差を選択してしまった。

これが、戦後の高度経済成長期に入り、輸送力の増強が喫緊の課題となるにつれ、とくに神戸線の運行本数増強によって、大きな問題となってくる。神戸線を優先させるため、今津線の列車が、今津行は西宮北口駅に停車しまま、また今津発宝塚行きは駅の南側の、平面交差の手前で停車し続けねばならず、大きな、待ち時間のロスが生じるようになる。

そして、遂に神戸線の列車の長編成化が行われることとなり、ホームの延伸に伴って、今津線との平面交差部の敷地を使うこととなり、西宮北口を境に、今津線は南北に分断されてしまうこととなった。
1984年のことである。
神戸線は線路の数が多いし、運行の支障が大きくなるので高架化は困難だったし、今津線の高架化は、西宮北口から2駅北の「甲東園」付近に山陽新幹線の高架が通っているため、その上を高価でまたぐ必要があったが、余りにも大工事となるので断念したらしい。

それでも、駅の工事が終了した後は、何らかの形でもう一度、「今津発宝塚行き」という直通電車を走らせてくれるのではないか、と漠然と思っていたのである。

(この稿さらに続く)

2011年4月26日 (火)

阪急電車 (1) 関テレが盛んに宣伝していた理由

有川浩著による「阪急電車」が映画化され、本記事執筆時点の2011年4月23日、関西で先行公開された。

原作本については既に2010年9月22日付けの記事でお薦め度★★★★★として紹介していて、このブログの右サイドにもお奨め本として掲示している。

そこでも触れているが、意外な本がヒットするものだと思ったし、まさか映画化されるとは想像もしなかった。
舞台となっている線が、今津線と言って、阪急ファンか、沿線近くに住んでいる人でないと、必ずしも馴染み深い線ではないと思うからである。

事実、関西テレビで朝放送している「よーいドン」という番組で、「となりの人間国宝さん」を探して歩くコーナーで、2011年4月21日(木)と22日(金)の2回に分けて、この線の小林駅周辺を歩いていたが、歩いていた月亭八光が、この線を舞台にした映画があり、公開が迫っているということを知らなかった。大阪に生れ育った彼にしてからがその通りなのである。

これは、彼がモノを知らないというより、その程度にしか認識されていない線だと解釈する。
何しろ、阪急電鉄には「本線」の扱いとされている線があり、それは「神戸本線」「宝塚本線」「京都本線」の3線で、今津線は支線の扱いなのである。

また、3線ある「本線」の中では、「神戸本線」が最も阪急の「顔」となる線で、次いでは宝塚歌劇で有名な宝塚が終点となっている「宝塚本線」ということになる。

宝塚本線」は、この鉄道発祥の線であり、箕面と有馬という、大阪や神戸に近い温泉地を結ぶべく「箕面有馬電気軌道」として始まった。だが、宝塚まで到達した時点で、その先の建設を断念し・・・多分、費用が掛かりすぎると考えられたためだと推察・・・宝塚までとした。

「神戸本線」は、先に開通していた阪神電鉄よりも高速に走ることをアピールすべく社名を「阪神急行電鉄」と称することとなったキッカケを作った線である。「阪神急行電鉄」を略して「阪急」と呼ばれるようになり、最近になって社名も「阪急電鉄」となったわけだ。

ところで、先に挙げた「よーいドン」に限らず、なぜか関西テレビで、というか関西テレビだけで、この映画の宣伝を盛んにやっていた。
初めは他の曲でもやっているように思っていたが、すぐに関西テレビだけが宣伝していることに気が付いた。
理由はすぐに分かった。

関西テレビの大株主・・・第2位・・・が、阪急なのである。正確には阪急阪神ホールディングス。

(この稿続く)

2011年4月20日 (水)

ひかりテレビ顛末記(7)

(前稿からの続き)

ひかりテレビにして、アナログテレビの画質も良くなったくらいだからと、FMの受信環境も改善されると期待したが、全く使いものにならないほどひどかった。
ちなみに、私はFMはNHKしか聴かない。クラシック音楽の番組をちゃんとやるのは、もはやNHK-FMだけだからである。

屋外アンテナの位置を変更してみるしかないか、と諦めかけていたとき、思いもよらない解決策を見つけることができたのである。

私は奈良市在住で、以前からNHKのFMは87.4MHzに合せて受信していた。オーディオ用はもちろん、カーステもラジカセも、これに合せていた。これは、奈良局専用の送信局がある松尾山・・・法隆寺の近く・・・からのもので、以前住んでいた所よりは現在の場所の方が距離的に少し遠い。だから2素子の屋外アンテナでは無理かも知れないと考えて4素子に買い換えたのは正解だったわけである。

もちろん、ひかりテレビの線に繋ぐときも、87.4MHzのままにしていた。カーステは87.4MHzのままでとちゃんと受信していたし。

私の愛用機(上掲)をはじめ、オーディオ用のFMチューナーは、感度よりも音質を採る設計であるためか、と、その辺りは理解しているが、それにしても、ひかりテレビに繋いで使い物にならない、というのは予想外だったし、大いにガッカリした。

処が、色々と調べていたら、ひかりテレビにおけるNHK奈良FMの再送信は、81.5MHzだと言うではないか。早速81.5MHzに合せてみたら、ちゃんと受信できるではないか。
まだそれでも少しS/N比が悪いと思ったので、ブースターを介在させてみた。これでようやく実用レベルとなり、屋外アンテナの追加作業は必要がなくなったかと思っている。

それにしても、奈良市におけるNHK-FMは81.5MHzに合せるように、ということが、NTTのホームページにも書いていないし、オプティキャストのページときたら、そもそも問い合わせ窓口の存在すら不明というページである。料金が不要ということで、両者とも力が入らないのか。

まあ、今頃はFMなんてものはカーステで聞くかラジカセで聞くかがメインで、オーディオで聞く人なんて殆どいないのだろう。だからと言って、少数派のニーズを無視するようなこの方策は、実にケシカランことだ。そもそも、本稿執筆時点でも、上掲のようにアマゾンでアイテムとして載っているのだ。
そもそも、81.5MHzなんて、大阪局をはじめ、近隣のNHKの送信所の、どこも使っていない周波数なのである。そんな周波数に合せてみようなんて、思いつくわけがないではないか。

最後にもう1件。

地デジ化に伴って、また、KCNへの直結という形態からひかりテレビに変更したのに伴い、チャンネルボタンと受信される放送局の関係が一部変った。結果として地デジは、テレビ番組表の通りになった。
そこで、分かりやすいように、アナログのチャンネルボタンを、地デジの場合の関係に合せておこうと考えた。

すると、地デジで9chである奈良テレビ放送のアナログが、テレビ番組表に載っているものと合わず、「行方不明」となってしまったのである。散々探しても見あたらなかったのだが、何と、3chで受信されていたのである。これも、NTTのページにもオプティキャストのページにもなく、あちこちのウェブを探して、ようやく見つかったのだ。

また、これもついでに、アナログで暫く続く、アナログのBS1とBS2も、デジタルのボタンで空いている11chと12chに、アナログ用ボタンは設定しておこうとしたが、これも同様に「ありか」が分からなかった。同様に、ウェブ内を探しまくった処、アナログのそれぞれ5chと9chで受信出来ることが分かった。
ひかりテレビにしたことにより、アナログ放送が終了しても、何年かは続けてアナログ受信機が使えることになっている。地デジ対応の録画機を何台もすぐに揃えるのはカネの面でしんどいので、しばらくこの形で行くつもりである。

それにしても、オプティキャストからは、色々な番組を申し込むよう、勧誘の電話があり、またその主旨のパンフレットも来たが、ホームページのプアなことには驚いた。
同様に、NTTのページも、ひかりテレビに関する内容が実に見つけにくい。FMを含め、地域ごとに、再送信のチャンネルが通常と異なるのであれば、その旨をどこかに記載しておくのが普通ではないだろうか。

私と同様のニーズで困っている人の参考になれば、長々と書いてきた「ひかりテレビ顛末記」も、一定の役に立つことになる。そうなれば嬉しい。

2011年4月18日 (月)

ひかりテレビ顛末記(6)

(前稿からの続き)

色々とおかしなやりとりがNTTとあったが、何とか2011年3月15日に工事が完了し、アナログテレビの画質が良くなったこと、また200M化を併せて行ったことにより、ブロードバンドの速度が速くなったことで、工事後の満足度は高かったのだが、もう一つ事前に期待していたことがあった。

FMである。

以前マンションの1階に住んでいたとき、マンションの屋内配線から分岐してもうまく入らなかったので、室内アンテナやブースターの設置など散々試みた末、屋内/室内兼用の2素子のアンテナを求め、それを軒先に設置した処、完璧にクリアに受信することができるようになった。

現在の家でも同様に2階のベランダにそれをBSパラボラ用の取付け器具を介して設置したのだが、雑音が大きくなり、聴くのがいやになってしまった。
KCNのホームターミナルにFM用の口があるので、そこに繋いでみたが、却って悪化するようだった。

マンションのときよりも送信所から少しだが遠くなったので、2素子では無理なのかと思い、アンテナを4素子のものに取替えたのだが、かなり改善されたものの、どうしてもノイズが取れなかった。
そこにブースターを介させても、ノイズと一緒に信号が増幅されてしまう、という結果しか得られなかった。

アンテナを4素子化したことにより、かなり改善はしたので、ノイズを取るには、取付け方を変える必要がありそうだと思った。恐らく、ベランダの金属と、雨樋からもっと離す必要があるのだろうと考えた。しかし、もともと屋根の上にアンテナを設置するのがイヤだったからKCNに加入したのだから、屋根上に移すのは絶対避けたい。現在の位置から少しだけ外に伸ばすか、少し上げるか、その追加作業をどうするか、という思案をずっとしていた処に、ひかりテレビの工事があったわけである。

ひかりテレビでは、FMも受信できるとパンフレットに記載されていた。アナログテレビでさえ画質が良くなったのだから、これは期待できそうだと思った。

AVシステムの処のアンテナ口は1個だが、既にBDレコーダ経由でテレビに行く線と、まだ当分使うDVDレコーダに行く線とに2分配していた。さらにFMの信号を取るため、3分配のものに替え、つないでみたが、これが全然話にならないのである。殆ど受信できないという状況だった。

これでは外部アンテナの改善作業をするしかないのか・・・と思ったが、ひょっとして何らかの設定が必要なのか?とウェブをあちこち調べていたら、考えもしなかった解決策が掲載されているのを見つけたのである。

(この稿さらに続く)

2011年4月16日 (土)

ひかり電話顛末記(5)

(前稿からの続き)

結局、1月中頃に「フレッツ光で、テレビもご覧になれるようになったのをご存じですか?」というピンボケの電話が1日に2回もあったあと、パッタリと電話が来なくなったまま2月になった。

この頃KCNのパンフレットで、従来のデジタルコースとは別に、「地デジ化コース」なるものが新説されたことを知った。
サスガにNTTにはほとほと呆れ果てていたので、大いに心が動きましたよ。そのコースはホームターミナルの設置は必要ないとのことで、それなら私が実際に地デジテレビをアンテナ線に直結して見ているのと同じである。余程NTTを見限って、KCNのまま、そのコースに・・・と思ってよくよく見ると、プロバイダをKCNに変えるのが条件だと言うのだ。

それではダメだ。
このブログだけでなく、ホームページもある。大量に書いた記事もある。それだけではない。ページ間の相互リンクもあるし、アマゾンのアソシエイトもやっていて、少ないとは言え、それなりのお客もついて頂いている。
程なくして訪問セールスの形でこのコースの説明に来た人がいたが、こなんな理由で断った。

さて、ようやく2月に電話があった。
一人目の人によって、工事の日程が決まった。
「後ほど工事の詳細確認のため、別の者から・・・」とまたまた言う。

そして、これが最後にまた呆れた内容だったのである。

工事の概要の確認があった後、「宅内の配線のことを考えますと、これこれの金額になると見込まれます」

何を言うか。
最初に2010年12月に電話があって申し込んだときだったと記憶するのだが、宅内配線は既にKCNが工事したものがあり、そのとき担当した人が、設置から経過した年数を確認したあと、「それでしたら、宅内配線はそのままお使い頂けると思います。でしたら、ブースターを交換する必要があるかどうかがポイントで、交換となればこれこれの金額、交換不要であれば、これこれの金額」と言ってくれていて、2月に電話してきた人に比べて相当安価な額が提示されていたのである。

そのことを言うと、
「それは、間違ったご案内をしたかも知れません。宅内配線がそのまま使えるか、とくに光に対応できるのか、という問題があり、交換することになる場合があります」
とノタマワったのだ。

最初に案内してきた人と、今回の人と、上司と部下の関係なのか、部署が違うのかは知らないが、仮にも注文を取った人の説明を「間違った案内をしたかも知れない」はないだろう。本当に「間違った説明」ならケシカラン話で、安い値段を示して釣っておいて、実際には高いものを売るというのは、詐欺に当たる。
アタマには来たが、怒る気力もなくなっていたので、「ハアそうですか」と電話を終えた。

で、実際の工事だが、最初に説明を聞いた通り、宅内配線の交換はせずに済んだ。ブースターは交換した。BSを分ける工事も、1台だけやってもらう決まりだったので、それだけやってもらい、あとは自分でやるから、と言って、それで済ませた。
そう言えば、後から電話してきた人は、BSの分波器についても、全部NTT側が取付けるようなことを言っていたはずだ。
それも、最初に注文を取った人の説明は「1台だけはNTTが工事をしますが、あとの分は、むしろお客様が付けられた方が良いと思います。NTTがやると高くつきますので・・・」と言っていた。結果は、まさにその通り。

実際にNTTが付けていったBS分波器は、市販で通常に売っているもの。しかも、NTTのホームページや事前に届いていたパンフレットには、分波器ではなく分配器で、「メタルシールドされているものを推奨」となっていたが、ごく普通に売っているものだった。下に示します。

工事の人に聞くと、「以前はシールトされていないものの中にノイズを拾いやすいものが多かったので、そう書いたのでしょう。現在はシールドタイプに拘る必要はなくなっています」とのことだった。

さて、工事が完了し、自分で付けると言っていた分派器・・・これは違うメーカーのものを予め買っておいたもの・・・も付けて、晴れて地デジ化対応が済んだ。
このひかりテレビでは、地デジ化終了後も、しばらくはアナログテレビ向けの再送信も続けるとのことなので、あとのテレビはしばらくアナログのまま置いておくつもりである。

このアナログテレビの画質だが、ひかりテレビ化によって、グンと良くなったのには驚いた。これなら、暫く使えるだろう。

そして、ブロードバンドだが、この工事と同時に200Mに向上されたのだが、これがまた凄く速い。ウェブのページを切り替えるのに、「瞬時」と言ってよいスピードで替わる。

色々と紆余曲折があり、呆れることも多かったがひかりテレビにして大正解だったと思うのは確かである。CMで言っているように、BSもみれるようになった。NHKのBSハイビジョンは、是非とも一度見てみたかったので。
まあ、これは4月から、以前のデジタルBS2と合併するという大改悪により、見れる番組の種類としては殆ど何も増えないこととなってしまったのだが。。。

しかし、話はこれでは終らない。
もう一つ、かなり不満が残ることがあったのである。

(この稿さらに続く)

2011年4月14日 (木)

ひかりテレビ顛末記(4)

(前稿からの続き)

さて、2010年12月21日にひかりテレビの勧誘があり、即刻申し込みをし、「1ヵ月ほどをメドにお電話を差し上げます」と聞いたあと、それでも早めの日程になったら片付けが大変なので、どうしたものかと思っている内、結局はそのまま年を越した。

とにかく、工事の日程がどうなるか決まらないとどうしようもない。外出したいときもある。

ようやく、年を越して1月も半ばだったか、電話があった。

オプティキャストからの電話かと思ったがNTTからだったので「?」とは思ったが話を聞くと、
「フレッツ光をご愛用ですが、それを使ってテレビもご覧になれるサービスがあるのをご存じですか」と来た。

「知ってるし、既に12月に勧誘があったので申し込んでるよ」
「ああ、それは大変失礼しました」
「工事の日程はいつ頃になりますか」
「その件でしたら、後ほど別の者から電話を差し上げます」
「そうして下さい」

で、半日ほど待ったあと、その「別の者」という人からの電話。

「フレッツ光をご愛用ですが、それを使ってテレビもご覧になれるサービスがあるのをご存じですか」

さすがにこれは、アタマに来た。

「それは知っているし、12月に申し込みもした。こっちは工事の日程・・・確定しないなら、いつ頃になりそうか、聞きたいんだ。日程が決まらないと、何の予定も立てられないで困ってるんだ。さっきも同じような電話があり、『別の者から電話させます』と言うから待ってたら、こんな内容の電話か! こんな下らない電話は二度とかけてくるな!何も前に進まない内容の電話は二度とかけて来るな! お互いに時間の無駄だ!」

その後パッタリ電話が来なくなった。
しかし、どんな顧客管理をしているのだろう。
嫁さんに言わすと、「どうせアルバイトにでもやらせてるんでしょ」と言うのだが、いくらそうだとしても、どの家に勧誘したか、その結果どうだったのか・・・申し込みまで行ったのか、もう少し押したら行けそうだったのか、見込み薄なのか・・・といったデータを共有するようにした上でセールスを掛けるのが普通でしょう。
しかも、NTTともなれば、そんな情報管理のプロ集団とみなされても当然の会社だ。
「顧客の電話番号」という最強のデータベースを持っている処でもある。

私にだって、その程度の顧客管理データなら作れると思う。

実は、ADSLからフレッツ光に変更したときも、これに勝るとも劣らぬ(いや、劣るとも勝らぬ、と言うべきか)ゴタゴタがあったのである。
申し込んだあと、いつまでも連絡が来ない。シビレを切らしてこちらから電話すると、「お客様の地域では、まだ光はお使いになれません。エリア外です」と言う。
「サービスエリアに入ったからセールスを掛けてきたのでないのか?」「その件については分かりかねます」

何だこれは、と思ったものだ。
で、ようやく工事が入ったと思ったら、接続試験の結果、うまく繋がらず、「どうやら、局内の工事が完了していないようです」

「電話がかけられない状態になるが、どうするの?」
「ご不便をおかけする訳にはいきませんので、剥がしたメタル線をもう一度引っ張ります」

で、その結果、
「メタル線ですが、完全に切断してしまっていまして、修復は無理なようてです。お客様はもう1本、メタルのまま残される回線をお持ちですので、それでしばらく対応頂けないでしょうか」
が結論。
結局、ちゃんと開通するまで、工事後1週間ほどかかったと記憶する。
私のように、もう1回線メタルで残すという選択肢を採ることのできない人だったら、どうしたのだろうか。

フレッツ光にしたときも、今回のひかりテレビにしても、宣伝する側と、実際にセールスをかける側と、工事を担当する協力会社とが、バラバラなのだ。連絡が悪すぎることこの上ない。
で、結果として最終的には、工事を担当する協力会社に、お客のトバッチリが行きかねない。矢面に立たされるのは弱い立場の人。

大震災の後すぐに発生した、東電の原発事件の様子を見ていると、体質が全く同じだと思わざるを得ない。
民営化されていると言っても、限りなく「お役所」に近い体質の会社というものがある。NTTも、電力会社も、所詮そんなものなのだろう。

(この稿さらに続く)

2011年4月12日 (火)

ひかりテレビ顛末記(3)

(前稿からの続き)

KCNのアナログコースに加入してはいるが、2台あったホームターミナルは外した状態、というまま年月は過ぎ、2010年の途中だったか、いよいよ地デジ化の日程が切迫してきていること、また、エコポイントが付く機会に是非とも、といったPRやCMが大量に流され始めた。
あれほど攻立てられると、イヤでも意識せざるを得ない。

そんな中、「フレッツ光で、地デジ化しませんか」というCMが流れ始めた。よくよくCMを聞くと、BSパススルーだと言う。しかも、思いの他安く済みそうだ。ただ、私の住んでいる所にはまだまだ対応できないようだった。

最悪? KCNでデジタルコースに変更するという方法はあるのだが、結局は「デジタルホームターミナル」なるものを設置せねばならず、これもBSパススルーではないのでチャンネルはデジタルホームターミナルに依存したものとなり、不便この上ない。

どうしようかと思案していたとき、NTTから「お客様のお住まいの処でも、フレッツ光でテレビがご覧になれるようになりました」と、勧誘の電話がかかってきた。「待ってました」というわけだ。即、乗りましたよ。
詳しく説明してくれて、そのサービス内容に十分納得したので、その場で即、申し込んだのである。
2010年の12月21日(火)のことであった。

そのとき、「後ほど、私の上司から、お申し込み内容の再確認として、もう一度お電話を差し上げます。また、このサービスは『株式会社オプティキャスト』との共同で提供させて頂くものなので、1ヵ月後くらいをメドにオプティキャストからも一度だけ電話があります」とのことだった。
その「上司」らしい人からは、すぐに電話があった。

また、実際の工事日程は、3月頃にズレ込む可能性がある、とも言っていた。

そうは言っても、予想外に早まる可能性もある。
最初にKCNで工事してもらったときと違い、また、光回線の終端装置を最初に設置してもらったときとも異なり、家じゅうモノが溢れ、少なくとも光終端装置の置いてあるパソコン周りは、その装置にアクセスできるようにするだけで大掛かりな片付けが必要となってしまっている。
片付けを始め、工事が余り早まることのないよう少しは願いながら、年を越した。

結局、年内の工事はなかった。

一方、地デジ対応テレビの2台めを、12月に導入した。
地デジ化の進め方について迷っていたため、エコポイントが少なくなってからの購入となってしまったのだが、だいたい思っていた程度の予算で済みそうだったので、遅ればせながら決めたのである。

それを、もともとホームターミナルの付いていなかったアンテナ線に直結したら、同様にチャンと映る。ますます、「KCNのホームターミナルっておかしいのではないか」と思うこととなった。
ホームターミナルをレンタルする、という「レンタル代」として料金を徴収する方式であるわけで、私のように、既にそんなモノは不要だし邪魔だと分かっている者にとっては、何とも理屈の合わない方式だ。

結局、この方式が誤りなのではないか。「放送をケーブルで再配信する」という「役務」について料金を徴収する方式でサービスを提供する、というのが通常の考え方なのではないか。また、ことさらに、さして魅力を感じない別チャンネルの再配信を付けたって、少なくともアナログの汚い画像では見たくもない。

(この稿さらに続く)

2011年4月10日 (日)

ひかりテレビ顛末記(2)

(前稿からの続き)

もともと今の家を建てたとき、KCN(近鉄ケーブルテレビ)に加入し、部屋ごとにアンテナ線を引き込む工事も行っていた。2003年の12月のことである。ホームターミナル(セットトップボックスの、KCNにおける名称)は2台で、アナログコースでの加入であった。

周囲よりも少し高めの場所に建てたことから、屋外アンテナを建てるのは避けたかったためケーブルテレビを引くことにしたのである。アナログコースに加入したのは、2003年12月当時、本稿執筆時点の2011年4月に比べて、「地デジ化」というのがまださほど切迫した日程とはなっていなかったためだ。

部屋に引き込んだアンテナ線は6箇所。その内2箇所だけにホームターミナルを設置したが、残る4箇所は、線を直結すれば通常のテレビ番組は見ることができる、という工事内容となった。ホームターミナルが2箇所となったのは、確か、アンテナを引きこむ部屋の数との関係で、引き込む数が6箇所だと、内最低2箇所にはホームターミナルを設置するというのが契約条件だったためだと記憶する。

処が、すぐにこのKCNの方式が大きな欠点というか、矛盾を抱えたものだと分かった。

発端は、1台のテレビを地デジ化したことによる。

KCNのホームページを見ると、アナログコースであっても地デジを見ることはできる旨が記載されてていたので地デジテレビを導入したのだが、ホームターミナルにそのテレビを繋いでも一向に見えない。

あれこれ試行錯誤しても見れるようにならないので、KCNの相談センターに聞くと、「それなら、ホームターミナルを経由しないで、アンテナ線に直結したらいいです」とのことだった。
教わった通りアンテナ線の口に地デジテレビを直結すると、見ることができるようになった。

そうなると、もうアナログのホームターミナルに繋いで、色々な放送の再送信されたものを見る気にはならない。
地デジテレビを初めて導入したとき、殆どの人が感じられたと思うが、ハイビジョン規格の画面の美しさ、細部まで描写して送られる解像度の凄さ、音質の良さは、「今までのアナログ放送って、何だったのか」と思わせるもので、テレビの世界が大きな技術的進歩を遂げた、というのを目の当たりにした観があった。

再送信される番組の中で特に見たいものもなかったし、何よりも、通常のチャンネルでさえ、BSパススルー方式でないため、ホームターミナルで設定されるチャンネルに合わさねばならない。
早々にホームターミナルは外してしまった。
もう1台のテレビのホームターミナルも外してみたら、これがちゃんと映るのである。

結局2台ともホームターミナルは外してしまったが、契約上それを返却することはできないので、そのまま保管し続け、何時の日か、地デジ化の日程が切迫してきたら、アナログコースのままで良いわけがないので、何か言ってくるはず、と思って待っていたのである。

(この稿さらに続く)

2011年4月 8日 (金)

ひかりテレビ顛末記(1)

大震災直後の3月15日(火)、かねてから申し込んでいた、ひかりテレビの工事が完了した。

震災後、何もする気がなくなって呆然とした状況が続いていたし、15日というのは、さらに暗い気持になってゆく前段階というべき時期でもあったのだが、予め決まっていたスケジュールは進んでいったわけで、工事に来た人と工事に関する話などもでき、若干の救いにはなった。

考えて見ると、会社勤めをしていたとき、阪神淡路大震災があり、職場でも仕事そっちのけで殆ど全員がテレビにかじりついていたのだが、やるべき仕事のスケジュールは決まっていて、イヤでも(?)それをこなして行かねばならず、職場の上司や仲間と震災の話をするなどにより、気分的に落込むのを最小限に喰い留めることができたのだった。
今回の震災よりも私にとっては、親元の住んでいた所の近くてもあり、今回よりも遙かに身近なことだったが、早めに無事が確認できて安心したことも大きかった。

今回の震災は、身近ではないが親戚知人の多くいる地域であり、幸い全員無事ではあったが、何日も確認が取れなかった。
最初は、その確認等があるので一両日休載、ということで記事の執筆を休止したのだが、テレビ報道によって、まさに想像を絶する被災状況を目の当たりにし、とくに大津波の凄まじい破壊力、ひいては大自然がキバを剥いたときの底知れない恐ろしさに触れ、どんどん気持が萎えて行き、何もやる気がなくなってしまい、とうとう1ヵ月近くの休載となってしまったのである。

そんな、ますます落込んで行こうとしている矢先に、予め決めていたスケジュールがちゃんと動いていたのは、本当に助かった思いがしたわけである。

そして、我が家の地デジ化は完了した。思いの外リーズナブルに済んだし、アナログのテレビがやけにキレイに映るようになったのも良い副産物となった。

しかし、「顛末記」と題した通り、ここに至るまで、「何じゃこれは」ということが色々あったのである。

(この稿続く)

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