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2011年4月28日 (木)

阪急電車 (2)

(前稿からの続き)

映画「阪急電車」の舞台となっているのは、阪急の今津線である。
この本のストーリーはメチャメチャ面白いし、心温まる物語であり、従って文句を言う筋合いはないし、映画も面白いものになったのかと思うが、どうも「今津線」をもって阪急電車の代名詞とするのは、沿線に住んでいた私としては抵抗がある、と言ったことを書いてきた。

シックリこないことをもう1点挙げると、この本を紹介した2010年9月22日付の記事にも書いた通り、舞台となっている線は「今津線」と称しながら、現実は「今津」に達していないからである。

その記事にも書いた通り、西宮北口駅では、昔、今津線と神戸線が複線同士がほぼ直角に平面交差していた。運転上のネックにはなっていたが、鉄道ファンにとっては、光景と言い、クロスで鳴る音と言い、たまらない魅力のある「名所」だった。
今津線は、宝塚から下りてきて西宮北口に到達したあと、平面交差によって神戸線を乗り越え、今津に達した。だから「今津線」と称するのである。

東京の東武鉄道の「東上線」のように、「東京」と「上州」を結ぶべく計画され、「上州」には到達しなかったのにそのまま「東上線」と称しているように、計画時に目標としていた地点に、結果としては到達しなかったのに、目標地点の名前をそのまま使っている例は色々あるが、それとは事情が違う。
今津に到達したので「今津線」となったのであって、宝塚と西宮北口間だけのときは、「西宝線」と称した。

宝塚から下りてきた線を今津まで延伸したのは、阪神電車の今津駅と隣接させた駅を設置し、阪神圏の乗客を阪急沿線に取り込もうとしたためである。
しかし、西宮北口から延伸するにあたり、当時の土木技術の水準が至らなかったためか、まだまだ電車の運行本数が少なかったのでさほど支障はないと判断したのか、立体交差でなく平面交差を選択してしまった。

これが、戦後の高度経済成長期に入り、輸送力の増強が喫緊の課題となるにつれ、とくに神戸線の運行本数増強によって、大きな問題となってくる。神戸線を優先させるため、今津線の列車が、今津行は西宮北口駅に停車しまま、また今津発宝塚行きは駅の南側の、平面交差の手前で停車し続けねばならず、大きな、待ち時間のロスが生じるようになる。

そして、遂に神戸線の列車の長編成化が行われることとなり、ホームの延伸に伴って、今津線との平面交差部の敷地を使うこととなり、西宮北口を境に、今津線は南北に分断されてしまうこととなった。
1984年のことである。
神戸線は線路の数が多いし、運行の支障が大きくなるので高架化は困難だったし、今津線の高架化は、西宮北口から2駅北の「甲東園」付近に山陽新幹線の高架が通っているため、その上を高価でまたぐ必要があったが、余りにも大工事となるので断念したらしい。

それでも、駅の工事が終了した後は、何らかの形でもう一度、「今津発宝塚行き」という直通電車を走らせてくれるのではないか、と漠然と思っていたのである。

(この稿さらに続く)

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