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2011年2月 4日 (金)

「ひこにゃん」の謎 続々

(前稿からの続き)

話は変るが、豪徳寺を菩提寺とする親戚の住所は、戦後まもない頃までは、「世田谷区世田谷」と称していた。この地名からすると、世田谷区のど真ん中という位置づけの地域だったのかと思う。

しかし、昭和30年代までは、何もない処で、小田急の豪徳寺駅から、隣の梅ヶ丘駅が見えたほどである。
駅から親戚の家に行くには、降り口から左に向かい、そのまま住宅地に入って進む方法と、右に向かい、小田急のガードをくぐって行く方法の2通りあったが、後者のルートなど、今思えば信じられないことだが、草茫々の原っぱが広がっていた。

元々「村」であり、後から東京市に編入されたとも聞いていたし、その親戚は、元々渋谷に住んでいたが郊外 ! に家を求めて世田谷まで来たのだとも聞いていた。

そんな感覚の人たちの話を聞いて育ったこともあって、東京の中では田舎なのだと、長い間思い込んでいた。

ところが、長じた後、会社勤めの関係で東京に住んだことがあり、その関係で興味も覚えたので少し調べてみると、世田谷区という区そのものが、住んでみたい区の中で上位に入っているし、この区を通る私鉄沿線は憧れでもある・・・ということになっていて、驚いたものである。

また、現在の「23区」に纏まる前、幾つかの「区」の合併や分割があったが、世田谷区は、大きな人口を擁していたにも拘わらず、分割されずに今に至っている。そのためもあってか、とにかく1つの「区」だけで100万人近くの人口があるということも知って、これにも驚いたものだ。
(世田谷区の公式ページによると、平成22年1月の住民台帳ベースで、約83万2千人)

田舎どころか、都会中の都会だったのだと知った。

しかし、少なくとも昭和50年頃までは、タクシーで「豪徳寺」と言っても通じないことがあった。これは自分で経験したことなので間違いはない。「小田急で経堂って駅あるでしょ。その隣の駅のあたり」と言って初めて通じたのである。「経堂」は小田急の主要駅だが、当時「豪徳寺」には各停しか停車しなかった。
いや、これは現在でも殆ど変っていない。各停に加えて区間準急が停車するだけである。だから単に「豪徳寺」と言っても通じないタクシーは今でもいるかも知れない。

色々と昔の思い出がある豪徳寺だが、現在の「ゆるきゃらブーム」の中で人気の「ひこにゃん」と、現在に至るまで私の手元にある、豪徳寺の招き猫・・・昭和30年頃に買ってもらったもの・・・が、深いつながりを持ったものだったと分かったのは痛快だった。まあこれは先にも書いた通り、既に「知る人ぞ知る」というレベルの話ではあったのだが・・・。

さて、その親戚の住所は、何時の頃だったか、地名が、お寺の名前と駅名に由来する「世田谷区豪徳寺」となった。
確かに「豪徳寺」の方が、文字通り凄く豪勢な字づらで良いということなのだろう。しかし、私などは未だに「世田谷区世田谷」という地名が懐かしいし、なにやら落ち着く感じもするのである。

(この稿さらに続く)

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