2016年4月18日 (月)

シャープ崩壊

(日本経済新聞社 2016年2月。副題「名門企業を壊したのは誰か。お薦め度5)

最初にカミングアウトしておきますが、シャープOBです。

片山さんが社長になったのと同じ年に「卒業」しました。 リーマン・ショックが始まった頃で、濱野副社長が「危機的な状況。売れる物は全部売れ!と大号令をかけていました。
その後リーマン・ショックは何とかくぐり抜けることができたと認識していたのに、なぜホンハイなどという会社の軍門に降るまでに堕ちてしまったのか。

本書でそのプロセスが手に取るように分かり、「そういうことだったのか」と納得しました。

社是に「いたずらに規模を追わず・・・」とある通り、もともと身の丈に合った経営をする会社でした。身の丈に合わないものには取り組まない会社でした。慎重に慎重にコトを進める会社で、管理指向が凄く強く、ハッキリ言ってケチでした。キャッシュフローを重視し、できるだけ借金はしないようにしてきた会社でした。

液晶テレビで大成功を収め、「アクオス」が薄型テレビの一般名詞化してしまった頃もありました。 しかし、液晶テレビが売れに売れたのは、「地デジ化」が迫る中で、やむなく買う人が殆どだったということが殆どの理由。そう。それだけに過ぎない。
けど真実を見抜こうとせず、技術力を含めて自分の力によるものと過信したのが元々の誤りの源。その意味で片山さんがシャープを崩壊に導いた張本人であるというのは私を含めてかなりの人が指摘している通りです。

しかしそれだけではない。

崩壊の過程の説明に人事抗争を持ち出すのは、理解はしやすいのだが一面的に過ぎると思う。 銀行出身の取締役の発言力が強くなりすぎ、生え抜きの取締役の思惑通りにコトが進まなくなってしまった。これはWBSなどでは報道されたが本書では触れられていない。結局、銀行出身の取締役の賛成多数でホンハイの参加になる道を選んでしまった。

そして、もっと基本的なことは、「お客様が欲しいと思って下さる商品」が創り出せなくなってしまったこと。これはシャープだけではない。

端的に言うと、殆どの商品が各家庭で溢れかえるようになってしまっているということ。洗濯機も冷蔵庫もエアコンも掃除機もテレビも、もはや買替え需要が見込まれるのみ。

そしてこの基本的なことに触れていないのは日経ならではの書き方だ。

尚本書が上梓された段階では、ホンハイ傘下に・・・という寸前までは行っていたとはいうものの、まだ決定はしていなかった段階であった。 その後傘下に入り、そのあとで出資額を値切られ、銀行出身の取締役の思惑とは全く異なる方向に進んでしまうこととなったのはご存じの通りである。

シャープに関心をもってきておられた方々には是非とも読んで頂きたい。もちろんシャープOBには必須の書と言うべきだろう。

 

2016年4月13日 (水)

ホームページURL変更のお知らせ 他

ニフティの都合により、ホームページのURLの変更を余儀なくされました。

 旧 http://homepage3.nifty.com/tkoikawa/

 新 http://dainashi.art.coocan.jp/

このブログのサイドバーからのリンクは修正済みです。
もし「お気に入り」などに登録されている場合は、お手数ですが修正登録をお願いします。

日本語読みにすると「題なしアート空間」みたいになって良くなったとも言えますが、やはり「勘弁してよ~」という気持ちの方が大きい。
だって、ニフティのサーバーの変更って、これで2度目なんですから。

しかも、時間的な猶予をもって告知してきて、尚かつ移行ツールも用意してくれたので「まし」ではあるが、その移行ツールは相対アドレスだけに対応するのであって、絶対アドレスには対応していない。

ページ間リンクを付けるとき、自分でもファイル構造がよく分からなくなっている場合があって、相対アドレスではなく絶対アドレスで指定していたケースが多く、逐一修正して行く手数は結構なものだった。

それと、相互リンクの問題がある。
以前のURLでお願いしていたサイトに、URL修正のお願いを出し、応じて頂けた処を都度確認しているが、本日現在未完である。

この記事をアップするに際して、以前から気になっていたフォントの変更を併せて実施した。ホームページの方がとっくにメイリオ化しているのにブログの方はメイリオ指定する方法が見つからず放置していたのだが、漸く実現できたのである。
メイリオ化によって、少しは見やすく表示されているはずである。

メイリオ化するための条件でもあったが、ページのデザインも少々変更した。

2015年5月22日 (金)

明治維新という過ち 改訂増備版

(副題「日本を滅ぼした吉田松陰とテロリスト。原田伊織著。毎日ワンズ。2015年3月10日第4刷。お薦め度1)

売れているようだ。私は毎日新聞を購読しているのだが、関連会社の出している本ということもあってか、よく本書の広告を目にしていた。時が経つごとに累計何万部出版という数字が上がっていったし、現に、本年1月に初版を出してから2ヵ月ほどで上記の通り第4刷に到達している。

薩長が明治政府を樹立し、その後の歴史が薩長にとって都合のよい歴史に書き換えられた・・・というのは、実はよく論じられる処だ。その上に立って、どこがどう変わったのかなどを論じて行くのが歴史家なり、歴史をテーマに小説や評伝を書く人の腕の見せ所というものだと考えている。

私も、率直に言って「明治維新」というものは薩摩藩の、とくに西郷ー大久保ラインによる陰謀だと思うようになってきている。
そうした、「明治維新見直し論」の1つかと思って本書を手許に置いたのである。

しかし、読み始めてすぐに失望した。本書はそんな上等なものではない。
結果、途中で読むのを放棄せざるを得なかった。これはひどい。
極めて偏った見方に基づいた、独善的で雑駁(ざっぱく)極まりない本である。何の価値もないと断言していい。

例えば、副題にある吉田松陰である。
全く大した思想を持った輩ではなく単なる先導者・テロリストだと断じているが、それでは後の「明治維新」の立役者の多くが彼を慕い、彼の元に集まったのはなぜなのか。
そこには、人が人を惹きつける力、即ち「」人物」という視点が欠けている。

そして、副題にあり本書内でも執拗に採りあげている「テロリスト」という決めつけ。
これは、あの時代と現在の価値観を混同(多分、意図的に)して論じるのが如何に無意味であるかということが分かっていない。

「明治維新」賛美に手を貸したのが司馬遼太郎であるとして彼を断罪し、戦前の陸軍の拡張主義が松蔭の影響によるものだとし、「維新」と称して廃仏毀釈に走り多くの寺院を破壊し、そうした影響が現在まで続いている。徳川家を温存して、当時のドイツ的な国とすべきだった、と論ずる。
ハッキリ言ってバカですよ。

彼は、本書内で、70年安保のとき、右側から関わったことを書いている
これで、ああそうかと納得したのは、立花隆が本書を絶賛した書評を書いていることである。立花隆は60年代安保闘争をくぐってきた人だし、著者は右側からとは言え、70年代安保に関わっている。
こうした人に共通するのは、妙な処に論点を無理矢理作り出し、理屈にもならない理屈をこね回すということである。こね回すことに恐らく快感を覚え、「理解しにくい」といった顔を見せると突然に聞き手をバカにし始めるのだ。

実に幼稚な論によって展開される本書。本来だとお薦め度はつけないレベルのものである。まあ1点だけ付けたのは、「明治維新」について無批判に受容してきた人に、「こうした考え方もある」ことを知って頂くにはこうした本もあってもいいか、ということによる。

しかし、多くの歴史学者、多くの司馬遼太郎ファン、多くの評伝作家を相手に喧嘩を売るようなこの本、よく出せたなあ、とある意味感心したのは確かだ。

2015年4月10日 (金)

何で「粛々と」が上から目線なのか

今頃になって、前の知事が容認した辺野古移設の工事を、許可取り消しの可能性もほのめかしつつ、ゴタを述べている愚かな知事がいる。
そして、挙げ句の果てが「政府側が粛々と進めると言うが、言われるたびに、上から目線を感じて不愉快に思っている沖縄県民が云々」の発言だ。

それをまた、左かかったマスコミが、「それも一理ある」とばかりに、三省堂国語辞典(以下、「三国」)の語釈を引っ張り出して、バカの援護に余念がない。

しかし、これこそ、為にする議論に他ならない。

三国に掲載されている「粛々」の語釈は次の通り。

  1. おごそかで、ものしずかなよあうす。(文例略)
  2. 何が起こっても、予定どおり着実におこなうようす。「―と業務をこなす」

まあ、この②の語釈を見つけて、マスコミのはしゃぐことはしゃぐこと。また、よく調べもせずにその解釈に乗ってしまうコメンテーテーターのバカさ加減には、つくづく驚き呆れるばかりだ。

だけどこれ、そんな「上から目線」の意味を含んでいるのだろうか。
②の語釈、ちゃんと読めば、単に客観的に、進める様子を表しているだけのことなのではないのか
最近まさに、この三国を第一リファレンスとした経緯を持つ身としては、こんなことに「活用」されるのは、甚だ腹立たしいことなのだ。

そう思って、他の手持ちの辞書類にあたると、驚くべきことが分かってきた。

殆どの国語辞典(広辞苑も含む)には、上記の①に相当する語釈しか載っていない。そのこと自体が、②の語釈そしてそれを「上から目線」のニュアンスをもって解釈することが無理筋だということを示している。

それどころか、漢和辞典の幾つかで調べると、「粛」には「おそれ慎んで」とか「身を引き締めてかしこまる意」という説明があるし、新潮日本語漢字辞典には、類語として「謹」を示している(謹賀新年の謹)

要は、「粛」という文字のには、「上から目線」どころか、おそれ敬ってかしこまるといったニュアンスがあるのだ。全く逆なのだ
なぜ、こんなことを、ロクに調べもせずに、あの知事をサポートするが如き言説に用いるのか。少し調べれば分かることのはずだ。一市井の私が調べても分かったことなのだから。

さらに驚いたことに、官房長官も首相も、何の反論もせずに「不愉快な思いをされたのであれば、以後は使わない」と引き下がってしまってていることである。本来はこの前半に「粛々という言葉には、そうした『上から目線』の意味はなく、むしろ反対の意味合いがある」と付け加えるべきなのではなかったか。

沖縄の地だけが太平洋戦争での地上戦の舞台となり、その流れで米軍基地の過大な負担につながっていることについては、日本国民全員、恩義を感じるべきである。

しかし、それとこれとは別のことだ。
左翼チックなマスコミが、それをゴッチャにして論ずるから、話がますますややこしくなるのである。
もうそろそろマスコミもコメンテーター連中も、現実を見るべきではないだろうか。現実を見るように誘導するべきではないか。
でないと、何も進まない。結果、そうしたマスコミやコメンテーターの言説によって、普天間の固定化が行われるだけなのだから。

繰り返す。
「粛々と」が上から目線のニュアンスを含んでいるというのは、漢字の意味としても、言葉自体としても、誤りである。

参考までに、私がこの記事を書くために参照した辞典類は、次の通りである(三国を除く)

2015年3月 4日 (水)

辞書を編む

(飯閒浩明著。光文社新書。2013年4月初版第1刷。お薦め度5)

IE7だかIE8だかになって、折角中央揃えにしていた私のホームページのレイアウトが、また左揃えに戻り、またテキストも大変読みづらいものになってしまった。
これは色々とアップされてているページで困った問題となっているようだった。

そこで、私はHTMLとかスタイルシートに疎いので、力ワザで修正をかけることとしたが、必然的に従来記載していた内容について誤りを発見したりすることになった。

とくに父のページは、大正時代の人の書いたものであり、既に私には理解しづらくなった用語などが数多いことが分かったし、またもっと若い人にも読んで欲しいことから、かなり手間ヒマをかけて校訂することとなった。

そのため国語辞典の類や漢和辞典の類について色々と検索することが増えていて、その中で気になる辞典を見つけた。
三省堂の「三省堂国語辞典」(以下「三国」)である。

学生時代から会社に入ってからずっと、同じ三省堂から出ている「新明解国語辞典」(以下、「新明解」)を使っていて、何の不足も感じていなかったのだが、どうも、1つの辞典だけでは、曲がりながらも文章を書く身としては、どうにも不十分だと気がついたのである。

そこで色々と検索しているうちに、「三国」が目についたわけである。

それで、最初から飛びつくのはなんとなく抵抗があったので、「三国」の編者の1人である飯閒氏の手による本書をまず買ってみようと思ったのだ。

最初の「編集方針」だけを読み終わるかどうかという時点で、即刻「三国」を買うことに決めた。

以下、用例採集、取捨選択、語釈・・・と続くのだが、読み進めるうちに、「三国」が決して奇をてらった辞書ではなく、また一部の批判的な立場から言われている「新語を追いすぎる」ものでもなく、至極真っ当な辞典であることが分かった。

「三国」については稿を改めるが、本書によって、国語辞典作りの現場がどりようなものかが分かり、国語辞典一般について、これをつくることの大変さ、気の長さを知ることができる。そして、編者にも、その会社にも、深い敬意を抱かずにはおれなくなるはずだ。

色々な意味で知的な刺激を受けることのできた名著である。

2015年2月 6日 (金)

エスペラント

(副題「異端の言語」 田中克彦著。岩波新書。2007年6月30日 第1刷。お薦め度 3.)

昨年の秋、私の「題なし」に収録している「雑学頓珍館」の全面的な校訂を行った。
その際、エスペラント語に関する章が付録としてついていたので、改めてエスペラント語とは何ぞや? と思うに至り、手に取ったのが本書である。

それまでにも「4時間で覚える地球語 エスペラント」という本を私がそのページで紹介している。

しかしその本は覚えるのが主目的となっているためもあってか、世界の言語の中における位置づけとか、文化的な背景、またその広がりなどについては殆ど触れていなかった。校訂を終了したあと、もっと追記すべきことがないかどうかを確認する目的もあった。

結論として、校訂に付加すべきことはなかった。

ラテン系の言語をベースにした人工語であるという私の感触もその通りだったし、私が以前から疑問におもっている、エラソーに言う割りにはエスペラント=ネイティブの文学作品の一つも披露されないではないか・・・という点も、基本的には解決されないままだ。

何よりも面食らったのが、本書における平仮名表記の異常に多いことである。1箇所だけ引用しておくと・・・。

「こういうしろうとにかこまれていただけでなく」
そもそも、何でこんなに仮名が多いのか。読みやすくしているつもりか? しかし、これって、却って読みにくくなっているではないか。

本書によって知ったのは、この人工語は「革命的な言語」だとして、ボルシェヴィキがソヴィエトの共通語として採用しようとしたことがあったこと。ロシア語からすると比較的覚えやすかったらしい。また大杉栄などが賛美し、覚えて使ったということだ。

私は、これによってかなりのことが、氷解した。
戦前、大本教という新興宗教が2回にわたって大弾圧を受けたという事件があった。私はずっと、それは国家神道という一神教に対し、別の神を祀ることがケシカランということが原因なのだと思っていた。
しかし、大本教はエスペラントを支持し、広めようとしていた。

これだと、当時はハッキリ反体制どころか危険思想を標榜しているようなものだ。

また、父がエスペラントを少しカジっていたわけだが、一時、仮名文字で年賀状などを書いていたことがあった。当時のタイプライターの性能の成約によるものと思い込んでいたが、ひょっとして、ナカモジカイの考え方に結構惹かれていた時期があったのではないだろうか。すると本書でイヤに平仮名が多い表記を採っていることと符合しそうだ。

また父は、一時期を除いて、一貫して左寄りの思想の持ち主でもあった。これは戦後の風潮をそのまま引きずったというか、戦争を体験した者としての反省から来ているものもあったかも知れないし、或いは別の理由があったのかも知れない。今となっては確かめることが出来ないのだが・・・。

また、大学時代の旧友で、お寺の住職を務めている人物がいる。
この寺のホームページは、エスペラント表記のページがある。
思えば、彼は、今も時々会っている仲間内で、最も左翼思想に近かったはずだ。(運動にこそ参加しなかったはずだが、他の仲間よりはかなり左だった)

まあ、そもそも岩波新書たものねえ。

結論として、私はこの人工語には否定的である。
内容もさることながらこの点により、お薦め度は高く付けることはてきない。
これに費やす時間があるなら、英語を始めとして、ちゃんとした言語を勉強する方がいい。

蛇足だが、大本教は戦後も存続していて、世界救世教をはじめ、戦後生まれの新宗教の幾つかが分派していった。
また、ホームページには、エスペラント語のページがある。現在でも支持しているようだ。

2015年2月 4日 (水)

どう使うねん

(銀シャリ 鰻和弘著。竹書房。2014年12月18日初版第1刷。お薦め度 3.5)

少なくとも関西では馴染みのある漫才師「銀シャリ」の鰻(向かって左に立っている方)の初出版本。テレビの番組内で本人が紹介していたので購入。
植田まさしがオビで推薦。

率直に言って、本来私はこうしたタレント本には余り手をださないのだが、銀シャリという漫才コンビが決してキライではないので、興味半分で・・・。

本書のカテゴリーをあえて「コミック、アニメ」としたが、そうとも言えない不思議な構成・不思議な内容の本である。

まず、題名が「どう使うねん」とあるので、何か不要不急の道具なり現象についてツッコミを入れるといった内容かと思ったのだが、これが大ハズレ。
基本的には文字または言葉のページがあり、めくると、本人によるイラストともマンガともつかない画が「落ち」として配され、そこに橋本らしき人物によるコメントが付くという構成である(中々説明が難しいのだが・・・)。

もたらされる「笑い」も独特のものだ。
率直に言って、何が可笑しいのかよく分からないものもあった。
考えてみれば、私は植田まさしのマンガで、イマイチよく分からないものが多かった。笑いのセンスが私とはズレているのかも知れないし、その彼が推薦するという本書も、同じくズレているのだろう。

本の題名とは大きく異なる内容であること、そして上記から、一般性はどうかということで首記のお薦め度とした。

ホンワカした内容であり、銀シャリに関心のある人はどうぞ、という処だ。

2015年1月30日 (金)

海賊とよばれた男 (上)(下)

(百田尚樹著。講談社。(上)2012年7月11日第1刷。2013年4月30日第23刷。 (下)第1刷同上。2013年4月26日第22刷。 お薦め度 何れも 5)

出光興産という会社には、昔から関心があった。と言うか、リスペクトしてきていた。

大きな要因は、「題名のない音楽会」の単独スポンサーを、1964年の番組開始時から一貫して続けてきいる点である。別ページ「ミニ音楽評」でも度々取りあげているように、私がずっと見続けていて(武田鉄矢時代は全く見ず、羽田健太郎時代は飛び飛びだったが)、こうした番組を民放で続けて行っているという姿勢に感嘆し、また時折現在でも触発される、音楽に関する知的な悦びを喚起する番組として、大切に思っている。

もう一点、永らく非上場で、かつ海外の会社と殆ど提携することなく、独立した立場を続けてきていることである。学生時代にアルバイトで石油業界の市況を纏める仕事をしたことがあり、調べて行く中でそのことを改めて知った。

このため、出光興産の創業者の一代記として宣伝されたこの本が出たとき、迷わずすぐに手許に取り寄せた。2013年の本屋大賞をとったということもあるが、何回か「本屋大賞」の看板につられて失望した経験もあるので、出光興産の創業者の話でなければ読まずにいたかも知れない。

ストーリーを追って紹介するのは控えるが、とにかく痛快。とくに、下巻で戦後のことに話が及んで行くと、面白くてやめられなくなった。一つ前の記事で取りあげた「尖閣問題」では読後怒りに震えて眠れなかったのだが、本書は読後も暫く興奮冷めやらず眠れなかった。
とにかくこの著者はストーリー運びが巧い。

上岡龍太郎が司会だった時分によく見ていた「探偵ナイトスクープ」だったということもあって親しみもあったし、佐渡時代になったからの「題名のない音楽会」にも出たことがあり、中々の見識も披露していて、益々親しみを感じた。

だから、本ブログで久々に「常推薦」とすべき本に出会ったナ・・・と思っていたほどである。
あの一件がなければ。

あの一件とは、都知事選に立候補した田母神の応援に回った件である。
よりによって田母神はないでしょ。あの人は極右だよ。東京裁判を否定し、日中戦争を侵略でないとし、太平洋戦争(こうした人たちは必ず「大東亜戦争」と称したがる)も防衛戦だと言う。私はこうした考え方をする人には全く賛同できない。安倍首相もそうしたことを匂わせる考え方で、田母神と同じ価値観のようだから危険なのだが・・・。

というわけで、もうこの著者の作品を読む気は失せた。
しかし、作品の面白さは捨て難い。従って、お薦め度は2冊とも 5 とし、リンクも付けておく。ただ、既に文庫化されていて原本は入手しにくいようなので、文庫の第1巻のみリンクしておく。

余談だか、リンクを貼るついでに読者レビューを見たら、随分酷評されているようだ。ひょっとしてあの一件がなかったら、また大阪でなく東京を中心に活動してきた人だったら、もう少しマシなレビューとなったかも。

2015年1月12日 (月)

検証 尖閣問題

(孫崎享編。岩波書店。2012年12月21日第1刷。お薦め度 -5)

この本についてはマイナスの評価しかできない。
読後、怒りに震えて眠られなかったほどだ。

通常こうした本に出会ってしまったら、何も書かずにブックオフに直行・・・とするのだが、この本ばかりはそれもしない。廃品回収行きとする。リンクも付けない。

批判の一言二言は書いてからと思っているうちに時間が経ったが、何がどういけないのか。

要は、尖閣問題とというのは、カイロ宣言・ポツダム宣言・サンフランシスコ条約に一貫して書かれている、「日本には本州・四国・九州・北海道の主要4島と、連合国が認めた若干の島々にのみ主権を認める」という処に立ち帰らないと解決できないと主張しているのだ。

「朝までナマテレビ」にも出たことがあるようだが、出席者一同から総スカンを喰ったそうな。あの、左翼が主流の番組においてである。

彼の主張は一部において正しいので、あまりこうしたことに関心を持って来なかった人は騙されてコロリと行くのだろうか。始末が悪い。
一部正しいのだが、その上で尖閣というのは沖縄の一部として連合国(米軍)が占領し、変換時も沖縄の一部として変換されたという事実はどう考えるのか。また、あの国がにわかに領有権を主張し出したのは、あの海域に資源が眠っているという情報をキャッチしてからだという事実はどうするのか、ということである。

彼の主張を通して行くと、沖縄まであの国のものとなってしまう。北方4島も、全部ロシア領だ。

私はこんな本、通常なら見向きもしない。手にとった理由は、ある大先輩が推薦していたから、という1点にすぎない。実に残念なことだ。

困ったことに、ときどきテレビで、「○○に詳しい」とか「元○○大使の」とか言ってコメントを取りに行ったりしているのだ。もう少し相手を見てコメントを取ってもらいたいものだ。
もっともっと、ずっと素晴らしい「元外交官」も「元大使」も存在するのだ。

だって、鳩ポッポとともに外交研究会などを立ち上げているのだ。押して知るべしだ。
ようやくこの一文を書く気になったので、即刻目の前から消えてもらうことにする。

まあ、それでも・・・という人は買って見てください。出版社などは一応記載しておいたので。まあマトモな人なら、「何じゃこれは」と思うのではないだろうか。

 

2014年11月30日 (日)

ホームページ「題なし」の表示修正を完了しました 続き

こうした修正は、HTMLを直接書いたり、スタイルシートを適切に書いたりできる人には無縁なのかも知れない。 私はホームページビルダをそのまま使い、部分的にページとHTMLを見比べながら手を入れるという方法をとっている。しかし、私のような使い方、実はかなり多いのではないか。 こんなに手間を取らせるなんて、Windowsのバージョンのせいなのか、IEのバージョンのせいなのか、MSも随分なことをしたものだ。 フォントの問題は別にして、中央表示が崩れるというのは、回避することができなかったとは思えないのだ。そうした配慮がなかっただけのことではないのか。 百歩譲って、どうしても回避できなかったのだとして、そのことに関するアラートって、出したことがあるのか。 また、これらのバージョンアップにどんな意味や価値があるのか。私には無意味だとしか思えないのだ。 そしてホームページビルダだが、これも余り意味のないバージョンアップを続けていると思う。ワードプレスだか何か知らないが、余計なものを付けるよりも、もっと安定して動くようにすることの方が重要なはすだ。とにかく、転送設定などがよく落ちるのだ。 IBMの仕様をそのまま鵜呑みにするほどジャストシステムが無能だとは思いたくないのだが・・・。

 

«ホームページ「題なし」の表示修正を完了しました

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